ヒトラー暗殺計画失敗!7月20日事件ワルキューレ作戦を映画に見る★

〖ひまつぶし系記事〗
Operation Walkure 完璧な計画がなぜ失敗した? 最も有名なヒトラー暗殺未遂事件とは
〖ひまつぶし系記事〗
〚記事内に広告含む〛
スポンサーリンク

【はじめに】

シュタウフェンベルク大佐演じるトム・クルーズ 映画【ワルキューレ】より

もはや細かな説明は不要であろう、旧ナチスドイツの悪名高き独裁者《アドルフ・ヒトラー》

第一次大戦敗戦後、彼は国内各地で巧みな弁舌をふるいながらその歪んだ思想をドイツ国民に植え付け、やがては権力を一手に握る総統の地位にまでのし上がりました。

多くのドイツ国民はそんな彼に洗脳され、心酔し、彼に絶対的忠誠を誓う狂気の集団「ナチス親衛隊(SS)」なるものまで組織されたわけですが、やはり自分を見失わぬ “マトモ” なままの人間も中には存在し、《ヒトラー》は自国民からもたびたび “暗殺” の標的とされました。

なんと《ヒトラー》が権力の座について以降、わかっているだけでも 40 以上の暗殺計画や暗殺未遂があったとされています。

で、今回ご紹介するのは、その中でも特に大規模、かつ、超有名な暗殺(爆殺)未遂事件たる【7 月 20 日事件】なるものと、事件のハイライト部分を忠実に描いた《トム・クルーズ》主演の映画【ワルキューレ】

というか、事件の一部始終を事細かく活字で説明しようとすれば、恐ろしく長文 & ワケわからんくなるのは必至なので、本記事においては全体像がそれなりに掴める程度でしか記しておりません。

なので『もっと詳しく知りたい!』てな方は DVD なり VOD(動画配信サービス)なりで映画の方をじっくりご覧頂き、なおかつ Wikipedia あたりを熟読して頂ければと思います。別名、手抜きとも…

とりあえず、映画のデキや面白さに関しては申し分なく、《トム・クルーズ》の軍服姿もファンの方は必見!

余談ながら…
世界的にも人気の高いドイツの高級紳士服ブランド【Hugo Boss(ヒューゴ ボス)
その創業は 1923 年で、ナチス時代には親衛隊国防軍の制服生産も主に手掛けていました。
ナチ将校の軍服に魅了される男性は今も多いようですが、そういった方にはピッタリのブランドかもしれませんね。
公式サイトの日本人モデルはちょい微妙ですが…

なお、以前当記事を執筆する予定が、つい横道にそれて書いてしまった以下記事も気になるようであれば是非ご覧あそばせ。(苦笑)



スポンサーリンク
  1. 最も有名なヒトラー暗殺未遂事件【7 月 20 日事件】
    1. クーデターグループの誕生から《シュタウフェンベルク》大佐の参入まで
      1. 発端はドイツのチェコ侵略
    2. 《ヒトラー》の暗殺はなぜ失敗した?
      1. 【暗殺失敗原因その1】 突如変更された会議の場
      2. 【暗殺失敗原因その2】 突如変更された会議時間
      3. 【暗殺失敗原因その3】 偶然移動された爆弾カバン
      4. 【暗殺失敗原因その4】 カバンに入れなかった未セットの爆弾
    3. 事件現場の「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」っどんなとこ?
        1. 【参考動画】ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)
    4. 裁いたのは “死刑大好き” ナチス人民法廷裁判長《ローラント・フライスラー》
      1. 【参考動画】(実際の裁判映像 / ドイツ語)
    5. 《ヒトラー》暗殺後の理想的筋書きと実際の結果
      1. 想定していた暗殺後の筋書き
      2. 想定外に終わった実際の結果
    6. 「ワルキューレ作戦」って何?
    7. 【7 月 20 日事件】のキーマンたち
      1. 【クーデター側】
        1. 《ルートヴィヒ・ベック》元陸軍上級大将 (元参謀総長)
        2. 《エーリッヒ・フェルギーベル》陸軍大将 (最高司令部通信部門責任者)
        3. 《フリードリヒ・オルブリヒト》陸軍大将 (国内予備軍一般軍務局局長)
        4. 《クラウス・フォン・シュタウフェンベルク》陸軍大佐 (国内予備軍参謀長)
        5. 《アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム》陸軍大佐 (オルブリヒト大将副官)
        6. 《ヴェルナー・フォン・ヘフテン》陸軍中尉 (シュタウフェンベルク大佐副官)
      2. 【立場不明】
        1. 《フリードリヒ・フロム》陸軍上級大将 (国内予備軍司令官)
      3. 【ヒトラー側】
        1. 《オットー・エルンスト・レーマー》陸軍少佐 (国内予備軍ベルリン大隊指揮官)
    8. 24 カットで “何となく” 分かる事件の流れ
  2. 映画【ワルキューレ】 DVD・Blu-ray のご案内
  3. VOD(動画配信サービス)各社のご案内
  4. 映画【ワルキューレ】 予告ムービー
  5. オススメ書籍【ヒトラー爆殺未遂事件 1939】のご案内
  6. 【オススメ記事】

最も有名なヒトラー暗殺未遂事件【7 月 20 日事件】

アドルフ・ヒトラー ナチス記録映像より

前述のごとく、狂人《ヒトラー》を暗殺しようとした計画は国内外に多数存在したとされますが、【7 月 20 日事件】があまりにも有名なのは、やはり自国ドイツ軍の、しかもトップクラスの幹部が多数名を連ねて行われた、大規模、かつ、手の込んだ計画だったからに他なりません。

《ヒトラー》の命さえ奪えればいい』といった単純なものではなく、ナチ幹部の逮捕SS(親衛隊)ゲシュタポ(秘密警察)の解体新政権樹立英米との講和戦争終結ドイツの抜本的立て直し、といった後々のことまでがすべて練りに練られた計画だったので、これを成功させるためには必然的にあらゆる立場の多くの人間が必要とされました。

この事件が失敗に終わった後は、当然のごとく SSゲシュタポによる大々的な粛清がなされましたが、事件に直接関与していない者も含めると、逮捕された反ナチス主義者は総勢 7000 人近く(内約 200 人が処刑されたとされる)もいたとされ、このことからもその規模の大きさが見て取れます。

Hulu
ロンメル陸軍元帥 Wikipedia より

何と、あの有名な国民的英雄、「砂漠の狐」こと《エルヴィン・ロンメル》陸軍元帥(写真参照)も事件に関与した疑いが持たれ、あげく、服毒自殺を半ば強要されこの世を去りました。

《ロンメル》が暗殺計画に何らかの関与をしているとの疑いは濃かったが、確実な証拠は得られなかった。
これらの情報は《ヒトラー》に伝えられたが、《ヒトラー》《ロンメル》の関与を確信し、もっともお気に入りであった将軍を葬る決心を固めた。
ただし、最後の慈悲として、裁判にかけられて惨めな思いをしたあげくに処刑されるか、英雄の名を保ったままで自決するか《ロンメル》自身に選ばせてやることとした。

Wikipedia より抜粋

スポンサーリンク

クーデターグループの誕生から《シュタウフェンベルク》大佐の参入まで

【7 月 20 日事件】において、《ヒトラー》爆殺の現場責任者たる男が、まさに映画【ワルキューレ】《トム・クルーズ》が演じるドイツ国防軍大佐、《クラウス・フォン・シュタウフェンベルク》なる人物。(写真参照)

どことなく高貴な雰囲気の顔とお名前ですが、実際彼は「伯爵」の爵位を持つ “貴族” でもありました。

「国内予備軍参謀長」のポストを得て以降《ヒトラー》に近付ける機会が増え、またアフリカ戦線での被弾で体に大きな障害(片腕や片目の喪失など)を負っていて周囲の警戒心も緩かったことから、実際に暗殺に手を下す最も危険な役割を彼が担うこととなりました。

貴族の “爵位” は一般的に「五等爵」などとも呼ばれ、序列は上から⦅公爵(こうしゃく)侯爵(こうしゃく)伯爵(はくしゃく)子爵(ししゃく)男爵(だんしゃく)⦆とされています。
なので《シュタウフェンベルク》氏は中堅どころの貴族って感じでしょう。

映画【ワルキューレ】では《シュタウフェンベルク》大佐が暗殺メンバーに参入してから 逮捕・処刑 されるまでの短い期間(1943 年 ~ 1944 年)が主に描かれていますが、クーデターのグループや計画自体はそれ以前より存在していました。

てことで、映画では描かれていない 《シュタウフェンベルク》がチームに加わるまでの背景や経緯” をまずは簡単に記しておきましょう。

スポンサーリンク

発端はドイツのチェコ侵略

《シュタウフェンベルク》大佐がチームに加わる約 5 年前の 1938 年、ドイツは密かに力を付けてきた軍事力をバックに、隣国チェコの一部(ズデーテン地方)を無理やり併合してドイツの支配下へと組み入れました。

これは当然にヴェルサイユ条約(第一次大戦敗戦後のドイツに連合国より突き付けられた超厳しい制約の数々)に違反し、周囲の国々を激怒させる行為であることは間違いなく、ドイツの将来を危惧した一部の国防軍幹部が、『狂ったナチ政権を葬って周辺国との良い関係を取り戻そう!』と結束したのが当計画の始まりだとされています。

分かりやすく言えば、

『イギリスとフランスはこのまま黙ってはいない。彼らに滅ぼされる前に自分たちの手で《ヒトラー》を何とかしよう!』

てな感じでしょうか。

777タウン.net 【無料会員登録】

ちなみに当初は “逮捕” だの “拘禁” だの、殺害以外の方法もいくつか検討されていたようで、時限爆弾による暗殺計画は後から考え出されたもの。

が、予想を反し、“弱腰 & 事なかれ主義” で有名な当時の英首相《チェンバレン》の提案によって、何とドイツのチェコ侵略が戦勝国の間で黙認される(ミュンヘン会談におけるミュンヘン協定)に至り、そのため大義名分を失った当初のクーデター計画は中止せざるを得なくなりました。

少し分かりにくいですが、下地図の「5」チェコで、「1」の部分(チェコの西側外周)がドイツに無理やり乗っ取られたズデーテン地方になります。

ミュンヘン会談終了後に《チェンバレン》は何度も大きなあくびをしたらしく、チェコ国民の怒りたるや察するに余りあります。

ズデーテン地方 MAP
ミュンヘン会談での各国首脳(左端がチェンバレン)
スポンサーリンク

で、一度中止されたクーデター計画が再び持ち上がったのは、その約 5 年後の第二次大戦末期、ノルマンディー上陸を果たした英米軍と、破竹の勢いで侵攻してくるソ連軍とに東西から挟まれ、ドイツの敗戦が色濃くなってきた頃合い。

元は母国ドイツに忠誠を誓っていた《シュタウフェンベルク》大佐も、《ヒトラー》& ナチスの狂気に満ちた数々を目の当たりにしてきたことから、いつしか《ヒトラー》& ナチ政権打倒を叫ぶようになっており、彼が暗殺チームに名を連ねたのもちょうどこの時期(1943 年)でした。

ちなみに、【7 月 20 日事件】に絡む反《ヒトラー》のグループは「黒いオーケストラ」などとも呼ばれますが、これは当人たちが付けたものではなく、ナチスのゲシュタポ(秘密警察)によって付けられた呼び名だそうです。

狂気の一例 ナチス記録映像より

スポンサーリンク

《ヒトラー》の暗殺はなぜ失敗した?

【7 月 20 日事件】実際の爆発現場 ナチス記録映像より

敗戦直前まで執拗に続けられたという【7 月 20 日事件】絡みの裁判や処刑は、見方を変えれば、事件が《ヒトラー》を恐怖のどん底に陥れたことの表れでもあり、実際、事件当時《ヒトラー》のすぐ近くにいた側近の数名は仕掛けられた時限爆弾により死亡しています。

そんな中、《ヒトラー》軽傷で済んだのは、やはり彼の持ち合わせた “強運” によるところが大きかったとはされていますが、いくつかの原因のひとつには、爆弾セット役《シュタウフェンベルク》大佐の痛恨なるミスもあったと言われています。

【暗殺失敗原因その1】 突如変更された会議の場

映画【ワルキューレ】より
大きな原因の1つ目は、「暑い」とのことから、突如予定されていた地下の会議室から風通しのいい地上の会議室へと場所が移されたこと。
完全密閉された地下の室内であれば爆風の逃げ場がなく、少しの爆薬でも最大限の威力を発揮できる。
準備された爆弾はそれを計算に入れた上での爆薬量だったので、“爆風の逃げる部屋” への変更で殺傷能力が大きく下がることとなった。

【暗殺失敗原因その2】 突如変更された会議時間

映画【ワルキューレ】より
大きな原因の2つ目は、会議の開始時間が直前になって 30 分早められたこと。
当時使われた時限爆弾は時限装置のセットに少々手間取るもので、会議の開始が突然早められたことによって2個のうち1個の爆弾しかセットができなかった。
専門家曰く、『爆弾2個だったならおそらく会議室の全員が死亡していたであろう』
とのこと。
スポンサーリンク

【暗殺失敗原因その3】 偶然移動された爆弾カバン

映画【ワルキューレ】より
大きな原因の3つ目は、《ヒトラー》のすぐ側に置いた鞄を《ヒトラー》の副官が偶然移動させたこと。
テーブルの脚の内側から外側に移動させただけのことだが、その脚が盾となって《ヒトラー》への爆風の直撃が免れた、とされている。

【暗殺失敗原因その4】 カバンに入れなかった未セットの爆弾

映画【ワルキューレ】より
大きな原因の4つ目は、上【失敗原因その2】の “時限装置のセットが間に合わなかったもう1個の爆弾” を、《シュタウフェンベルク》大佐がカバンに入れなかったこと。
抱き合わせにしておけば1個の爆弾が爆発すればもう1個の爆弾も誘爆されるはずで、爆弾2個なら全員死亡したであろうことは前述の通り。
この些細なミスさえなければ全てがうまくいったのでは、などとも言われている
スポンサーリンク

事件現場の「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」っどんなとこ?

1944 年 7 月 15 日 「狼の巣」にて 左端がシュタウフェンベルク大佐 Wikipedia より
ヒトラー専用のブンカー跡 Wikipedia より

ヴォルフスシャンツェ(狼の巣) とは、第二次世界大戦中に《ヒトラー》が設けた要塞化された指揮所のひとつである。
建設された場所は現ポーランド領の深い森の中で、周囲は 50m から 150m の幅の地雷原に囲まれ、有刺鉄線は 10㎞ に達し、面積は周囲の森林地帯を含め 8 平方 ㎞ に及んだ。
施設には居住棟、厚生棟(食堂・娯楽室・映画館など)、管理棟がおよそ 40 棟、コンクリート製の大型ブンカー(掩蔽壕(えんぺいごう)= 爆弾退避所)が 7 棟、小型のものが 40 棟あり、鉄道引込線と滑走路も2ヵ所あった。
警備する将兵は 1944 年時点で約 2,000 名にも達したとされる。
ベルリン陥落のおよそ3ヵ月前、ソ連軍が東プロイセンに侵入した際、ヴォルフスシャンツェのすべては 12 トンの爆薬を使ってドイツ軍により爆破された。
周辺は未処理の地雷が多数残されていたことから一般人の立ち入りは長く禁止されていたが、ポーランド政府による地雷処理は 1955 年にて終了。

現在、ヴォルフスシャンツェ跡はケントシン市最大の観光名所となっている。

参考:Wikipedia

【参考動画】ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)

〖Poland. Hitler’s bunker. (Wolf’s Lair, Wolfsschanze)〗

約 4 分
スポンサーリンク

裁いたのは “死刑大好き” ナチス人民法廷裁判長《ローラント・フライスラー》

“カギ十字” の垂れ幕がデカデカと掲げられた法廷で、ナチスの飼い犬裁判長《ローラント・フライスラー》(写真参照)被告たちに金切り声で罵声を浴びせるシーンはつとに有名ですが、顔写真だけでもこの上ない不快さを感じるのはワタクシだけでしょうか。

意外にも、“共産主義者” だった前歴から《ヒトラー》に疎んじられ、また「不潔な役者」「異常者」などと呼ばれ党幹部の多くからも嫌われていたそうな。

【7 月 20 日事件】首謀者の一部は死刑執行時の長く苦しむ姿を《ヒトラー》に “鑑賞” させるため、録画されながら “ピアノ線” で首を吊るされたとされています。

【7 月 20 日事件】の裁判 ナチス記録映像より

次から次へと死刑判決を量産した《ローラント・フライスラー》も、最後は米軍の空襲により瓦礫の下敷きとなって死亡。
裁判書類を抱えたままの死体で発見されたそうです。
彼の死を確認した医師は、皮肉にも彼に死刑判決を下された者の兄だったとか。

【参考動画】(実際の裁判映像 / ドイツ語)

〖Roland Freisler – Präsident des Volksgerichtshofes〗

約 4 分半
スポンサーリンク

《ヒトラー》暗殺後の理想的筋書きと実際の結果

想定していた暗殺後の筋書き

幻となったクーデター成功後の新制ドイツ国旗 Wikipedia より
爆殺成功 「狼の巣」の通信網を全て遮断 クーデター側より 《ヒトラー》の死亡” SS & ゲシュタポの反乱” を各地の部隊に伝え「ワルキューレ作戦」を発動 国内予備軍によるナチ党幹部の逮捕、及び SS & ゲシュタポの制圧 占拠した放送局よりそれらを国民に伝えたうえ新政権樹立を宣言 英・米と講和を結び戦争を終結 ドイツの立て直し

想定外に終わった実際の結果

爆殺失敗 「狼の巣」の通信網遮断も失敗 《ヒトラー》の死がまだ未確認ながらも強引に「ワルキューレ作戦」を発動 クーデター側からの情報SS & ゲシュタポの反乱で総統は死んだ)と、相反する「狼の巣」からの情報総統は生きておられる)で各部隊は大混乱 《ヒトラー》の生存が明確となり、「ワルキューレ作戦」で動員されていた国内予備軍が一転してクーデター側の鎮圧に SS & ゲシュタポによる事件関係者の徹底的な粛清
スポンサーリンク

「ワルキューレ作戦」って何?

映画【ワルキューレ】より

映画のタイトル【ワルキューレ】とはこの「ワルキューレ作戦」からとられたもので、【7 月 20 日事件】を語るにあたっては避けて通れぬ最も重要な作戦名。

クーデター計画の成否は、この作戦が予定通り事を運ぶかどうかに全てがかかっていたのです。

「ワルキューレ作戦」の本来の内容を簡単に言えば、

〚ドイツ国内で外国人等による反乱などが発生した場合に、その鎮圧・平定等を目的として国内予備軍に発せられる緊急命令〛

てな感じでしょうか。

が、《シュタウフェンベルク》らクーデターグループは、この既存システムを 《ヒトラー》暗殺後のナチ幹部の逮捕や各施設の占拠等に利用できる” と考え、自分たちに都合のいいように内容を修正したうえ《ヒトラー》の承認を得ることに成功しました。

しかし、「発動命令」を出す権限は “どっちつかず” の態度を決め込んでいた国内予備軍トップの《フロム》上級大将にしかなく、すったもんだのあげく最終的には権限なき者《クイルンハイム》大佐)によって強引に発動されました。

「ワルキューレ作戦」による出動 映画【ワルキューレ】より

スポンサーリンク

【7 月 20 日事件】のキーマンたち

【7月20日事件】のキーマン相関図

【クーデター側】

《ルートヴィヒ・ベック》元陸軍上級大将 (元参謀総長)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

陸軍参謀総長を務めていたが、次第に《ヒトラー》の攻撃的な外交政策に反対するようになって 1938 年 8 月に辞職。
以来、《ベック》《ヒトラー》とナチ党組織の両方を政府から排除する必要があると考えるようになり、クーデター計画の主要な指導者となる。
《ヒトラー》の暗殺が成功すれば新生ドイツの国家元首(大統領)になるはずであったが、計画は失敗に終わり事件当日に逮捕。
直後、《ベック》《フロム》に拳銃を要求し、その場での自決を許されたが、手が震えて二度にわたり失敗したことから最後は側にいた兵士によって射殺された。
ちなみに逮捕者《フロム》《ベック》の元部下。
《エーリッヒ・フェルギーベル》陸軍大将 (最高司令部通信部門責任者)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

専門知識が《ヒトラー》に評価され、総統大本営「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)において通信部門の責任者として勤務していたが、《ベック》らによってクーデターメンバーに引き入れられた。
事件当日は「狼の巣」において通信回線の切断を試みたが失敗。
暗殺が未遂に終わり、《ヒトラー》の生存を確認すると、隙を見てベルリンの国内予備軍司令部に総統が生きていると直接電話連絡した。
事件直後に逮捕され、裁判で死刑を宣告されたが、ゲシュタポの方針転換(すぐには殺さず拷問等でより多くの陰謀加担者についての情報を得る)により刑の執行は約 1 か月間延期された。
《フリードリヒ・オルブリヒト》陸軍大将 (国内予備軍一般軍務局局長)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

1943 年、【7 月 20 日事件】の実行役となる《シュタウフェンベルク》大佐を自分の部局員に加える。
さらには、警備が厳重でメンバーの誰もが近付けなかった《ヒトラー》の元に彼が近付けるよう、裏で手を回して「国内予備軍参謀長」のポストにも据えた。
副官の《クイルンハイム》大佐と共に「ワルキューレ作戦」を利用した国内予備軍の動員を画策したが、計画は失敗し、上官の《フロム》上級大将によりその日のうちに逮捕 & 即決裁判により死刑を宣告され、その直後、《シュタウフェンベルク》大佐らと共に国内予備軍司令部の中庭において銃殺された。
《クラウス・フォン・シュタウフェンベルク》陸軍大佐 (国内予備軍参謀長)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

《シュタウフェンベルク》は妻《ニナ》との間に 5 人の子供をもうけた。
《ニナ》は夫の様子が妙である事に気づいたが、『お前は知らない方がいい』と言われ詳しい内容は聞かされなかったという。
事件後、ナチス政府の憎しみはレジスタンスの中でも特に貴族に向かい、その憎しみが最も向けられたのが《フォン・シュタウフェンベルク》伯爵家であった。
親衛隊トップ《ハインリヒ・ヒムラー》は、伯爵家に連なる者を徹底的に逮捕するよう命じ、伯爵家の財産はすべて没収され、《ニナ》は強制収容所に、子供たちはナチスの養護施設に送られたが処刑だけは免れた。
だが兄の一人は反ヒトラーグループに参加していたため事件後すぐさま逮捕され、死刑判決を受けたその日のうちに “ピアノ線” によって絞首刑に処された。
戦後になり、《シュタウフェンベルク》は英雄として賞賛され、国内予備軍司令部のあったベントラー街は「シュタウフェンベルク街」へと改名され、そこに記念館も開設された。
『昔ながらの伝統的な戦士のイメージ。私は《シュタウフェンベルク》のことをほとんど知らなかったが、片目を黒の眼帯で隠し、片袖の腕は失われているものの、堂々と背筋を伸ばし、振り向いた《ヒトラー》をまっすぐ見据えて立つ姿は誇り高く、まさに当時のドイツ参謀将校のイメージそのものだった』

とは当時事件現場にいた某陸軍大将の弁。

スポンサーリンク
《アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム》陸軍大佐 (オルブリヒト大将副官)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

1919 年、父の国立公文書館総裁就任に伴いポツダムに移住したが、《シュタウフェンベルク》大佐の副官、《ヘフテン》中尉とはこの当時からの知り合い。
《シュタウフェンベルク》大佐とも 1925 年以来からの気の置けない友人である。
1943 年 9 月以降、《クイルンハイム》は本格的に《ヒトラー》暗殺計画に関与するようになり、《シュタウフェンベルク》大佐や《オルブリヒト》大将らと共に「ワルキューレ作戦」をクーデターに利用するため作戦内容の修正を行った。
事件当日、暗殺成功の連絡が届かず生死の情報が錯綜していたベルリンでは上官《オルブリヒト》「ワルキューレ作戦」の発動を躊躇していたが、待ちきれず、業を煮やした《クイルンハイム》は独断で発動命令を発出した。
(本来《オルブリヒト》大将にも《クイルンハイム》大佐にも発動権限はないため形式上は《フロム》上級大将からの発令である)
事件当日に逮捕され、《シュタウフェンベルク》《オルブリヒト》《ヘフテン》らと共に国内予備軍司令部の中庭ですぐさま銃殺された。
《ヴェルナー・フォン・ヘフテン》陸軍中尉 (シュタウフェンベルク大佐副官)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

ベルリン大学で法学を学び、卒業後はハンブルクの銀行に就職。
第二次世界大戦が始まると予備役中尉としてドイツ陸軍に入隊し、《シュタウフェンベルク》大佐の副官となって以降は 逮捕・処刑 されるまで《シュタウフェンベルク》と一心同体の存在。
逮捕後、銃殺の順番が《シュタウフェンベルク》に回ってきた際、彼の前に庇うようにして立ちふさがり、先に射殺されたと言われている。
《ヘフテン》らの遺体は制服と勲章を着けたままベルリン市内の教会に埋葬されたが、翌日、捜査・逮捕 を指揮するためやってきた親衛隊トップ《ヒムラー》の命により遺体は掘り起こされ、制服と勲章を剥奪された上で焼却され、遺灰は野に撒き散らされた。
のち、兄《ハンス》も計画に加担したとして逮捕され、刑務所内にて絞首刑に処された。

【立場不明】

《フリードリヒ・フロム》陸軍上級大将 (国内予備軍司令官)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

《フロム》が暗殺計画にどの程度関わっていたかは今となっては不明だが、首謀者である《シュタウフェンベルク》大佐は彼の直属の参謀であり、同じく軍務局長《オルブリヒト》大将も直属の部下であった。
爆殺作戦が決行されたのち、上司《カイテル》元帥からの電話連絡で、《ヒトラー》が生きていることを知らされた《フロム》は、「ワルキューレ作戦」の発動を要求してくる《シュタウフェンベルク》らに対し、これを拒否したうえ、さらには自決をも命じた。
最終的に《フロム》は彼らを逮捕し、即決裁判でその日のうちに銃殺刑に処したわけだが、これは自分が共謀者として疑われることを避ける目的もあったのでは、とも言われている。
が、結局はこの行為は逆効果で、《ヒトラー》《フロム》が首謀者らを「安易に」処刑したことに激怒し、自身のクーデター加担が発覚しないよう「口封じ」したのではとの強い疑念を持つに至った。
結果、《ヒトラー》の命令により《フロム》は逮捕 & 軍籍を剥奪され、軍法会議ではなく一般市民として《フライスラー》の人民裁判を受けさせられたわけだが、《フロム》が暗殺計画に加担していたことは最後まで立証されず、「敵に対する臆病」というムリヤリ的な罪状により某拘置所内にて銃殺刑に処された。

【ヒトラー側】

《オットー・エルンスト・レーマー》陸軍少佐 (国内予備軍ベルリン大隊指揮官)
実物 Wikipedia
映画【ワルキューレ】

〚人物像 等〛

最終的に陸軍少将までのし上がった《レーマー》はドイツ国防軍最年少の将軍の一人で、第二次世界大戦後は「ナチス残党のゴッドファーザー」とも呼ばれた。
少佐に昇進後、東部戦線で重傷を負ったことから 1944 年に大隊指揮官としてベルリンに転属となり、そこで【7 月 20 日事件】に遭遇。
「ワルキューレ作戦」では、《レーマー》少佐の大隊が SSゲシュタポの本部庁舎など主要施設を封鎖する手はずになっており、最初は予定通りに行動したが、逮捕する予定だった《ゲッペルス》宣伝大臣の取次ぎで《ヒトラー》の “ナマ” の声を電話で聞かされ、同時に反乱軍の鎮圧をも命じられたことからすべてが一転することとなる。
《レーマー》少佐はこれにより二階級特進で大佐に昇進した。
“英雄” としてさらに出世するも、その後の戦況の悪化でソ連軍に包囲された《レーマー》は西方に脱出してアメリカ軍の捕虜となり、戦後イギリス軍に引き渡されたのち、1947 年に釈放された。
1952 年、《レーマー》《ヒトラー》暗殺計画の参加者たちを「国家反逆者」と表現したため懲役 3 か月の判決を受けたが、国外に逃亡し、エジプト大統領やシリアの軍事顧問を長年務めた。
晩年は、某言論活動から再びドイツに追われる身となり、スペインへと逃亡し、スペイン政府に庇護されながら 1997 年にその地にて死去。(享年 85 歳)
スポンサーリンク

24 カットで “何となく” 分かる事件の流れ

映画【ワルキューレ】予告より

スポンサーリンク

映画【ワルキューレ】 DVD・Blu-ray のご案内

VOD(動画配信サービス)各社のご案内

注:VOD 各社とも【ワルキューレ】が配信されているかどうかは不明です。
別途ご自身にてご確認下さい。
(※ 2023 年 11 月時点、「U-NEXT」においては見放題作品の一つとして提供されています)








映画【ワルキューレ】 予告ムービー

約 2 分半
スポンサーリンク

オススメ書籍【ヒトラー爆殺未遂事件 1939】のご案内

【あらすじ  by Amazon

「戦争を回避したかった」と供述した男は、質朴な家具職人で、単独犯だった。ナチの犯罪性を見抜き、世界の破局を確信していた暗殺者の生涯、事件の深層に迫り、歴史的評価を示す。
 1939 年 11 月 8 日、21 時 20 分、ミュンヘンのビアホール「ビュルガーブロイケラー」で時限爆弾が爆発し、8 名死亡、63 名負傷した。折しもヒトラーがミュンヘン一揆の記念演説を例年よりも早く終え、会場を去ったわずか 13 分後だった。同日、スイス国境で男が逮捕された。彼こそヒトラー爆殺未遂犯、36 歳のエルザーだった。
 エルザーは、1944 年ヒトラー爆殺に失敗した国防軍将校シュタウフェンベルクと異なり、貴族でもエリートでもなかった。犯行を自白したが、共産党組織に名前だけ属していただけの「イデオロギーなき」人物で、その背後にはいかなる組織、共犯者、支援者もなかった。しかしナチの目論見は、エルザーを「英国スパイ」としてプロパガンダに利用し、戦後に見世物裁判を開くことだった。
 本書は、独のノンフィクション作家が、エルザーの人格と行動を、丹念な取材と最新研究に基づいて見事に再現し、近年の歴史的位置づけにも言及する。

【著者について  by  Amazon

1950 年生まれの著者《ヘルムート・オルトナー》は、ドイツで最も著名なノンフィクション作家の一人。
大学でグラフィックデザインを学び、その後はジャーナリストとして活動。
雑誌「ジャーナル・フランクフルト」の編集者となり、後に編集長を務める。
ヒトラーとナチスドイツおよび戦後ドイツの過去との取り組みを検証するものを中心に、20 冊を超える書籍で知られる。
本書は彼の代表作であり、ドイツ語圏だけでなく英米での評価も高く、これまで世界 14 の言語で翻訳され出版されている。
※ 注:上書籍は【7 月 20 日事件】についてを記したものではありません。
スポンサーリンク
人気ブログランキング


人気ブログランキングでフォロー
オカルトランキング
歴史ランキング
雑学・豆知識ランキング
趣味・ホビーランキング

【オススメ記事】

ポイ活定番人気サイト選べばコレ!隙間時間にPCスマホで小遣い稼ぎ!
アンケートの回答やゲームで遊ぶだけでポイントが貯まるアンケートサイトやポイントサイト。中でも信頼&実績ある人気どころが「ちょびリッチ」と「infoQ」。ポイントは現金や電子マネーに交換してお好きに使えます。暇な時間を有効活用して小遣い稼ぎ&生活改善!
アンナ・チャップマン|ヌードで有名な元ロシア美人スパイの過去現在とは
「美しすぎるスパイ」として一躍人気者になった元ロシア女性諜報員アンナ・チャップマン。逮捕引退後はメディア等で幅広く活躍し、米プレイボーイ誌では全裸姿も披露。今回はそんな彼女の容姿を軸に、その過去現在等を画像や動画と併せご紹介。男性必見超お宝写真も⁉
映画【八甲田山】は実話?陸軍雪中行軍遭難事件の真実をわかりやすく解説★
1902年、史上最悪たる軍訓練中の死亡事故が青森県八甲田山にて発生し、今やそこは心霊スポットとしても超有名。事件は小説や映画で世間に知られたが、内容は史実とはかなり違う様子。てなわけで今回は、八甲田山雪中行軍遭難事件の背景や原因等その真実を詳しくご説明。
【ヒトラー女性化計画】ヒトラー最強爆笑ネタ!暗殺無用“ちょび髭”葬れ!
第二次大戦とユダヤ人虐殺を煽動したナチスドイツの悪名高き独裁者ヒトラー総統。彼を失脚させるべく米諜報機関OSSが極秘裏に計画実行したのが爆笑仰天ちょび髭をも落とそうとした女性ホルモン投与計画(女性化計画)。果たしてその背景・全容・成否たるやいかに!
ディアトロフ峠事件|遺体の舌と眼球は?ロシア雪山怪事件真相を考察★
遺体の損傷具合等不可解な事実が多く、未だ真相不明のディアトロフ峠事件。ロシアの若者ら9名がウラル山脈で変死した世界一有名であろう雪山遭難怪死事件です。雪崩に殺人にUFOに雪男… 諸説渦巻くその真相全容は何なのか、綿密に調査検証推理した動画と共にいざ考察!
【MKウルトラ計画】洗脳&人体実験史上最も有名な米CIA国内活動とは★
米諜報機関CIAの極秘洗脳計画【MKウルトラ計画】。多くの米国民が残酷な人体実験で廃人と化したが、証拠の大半は隠滅され未だ真相全容は闇の中。実験方法は?主犯格は誰?等、今回は洗脳&人体実験史上最も有名であろう米CIAの謎多き国内活動を動画と併せご紹介。
【バチカン衛兵】有名なド派手デザイン服は観光客用?謎多きその実像とは★ 
世界遺産、かつ、世界一小さな国バチカン市国。世界十数億人のキリスト教信者の総本山としても有名です。そしてカラフルでド派手な制服の衛兵たちも名物で観光客の人気者。彼らの職務や階級や収入は?採用基準は?等々、気になるその実像と併せ歴史その他も詳しくご紹介。
御庭番衆|忍者とは違う吉宗設置の将軍側近隠密組織 その職務や日々の姿とは★
江戸幕府で隠密や警備として重用された伊賀甲賀の忍者。彼らとは別に、将軍の命令のみで動いた隠密組織が御庭番衆です。時代劇暴れん坊将軍とは違う彼らの職務や実像はどういったものだったのか。今回は8代将軍徳川吉宗が設置した将軍側近隠密組織「御庭番衆」をご紹介。
【世界の国歌メドレー西欧編】外国の風景街並み文化が動画でよく解る★
歌詞翻訳付き国歌メドレーとともに美しい西欧諸国を動画で堪能!訪れるのは、イタリア、スイス、オーストリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、イギリス、フランス、スペイン。大人気のソ連国歌もオマケで登場!景色や街並みや日本文化との違いもよく解る★ 
元日本兵小野田さんも出身 旧陸軍極秘組織のスパイ養成機関中野学校とは
太平洋戦争直前、諜報謀略防諜の必要性から日本にスパイ養成機関が誕生。映画化もされましたが、旧日本兵がフィリピンルバング島のジャングルで発見され一躍有名に。彼はその姉妹校の出身でした。今回は小野田寛郎元少尉の人物像と併せ陸軍中野学校をご紹介。
日本最強の戦闘機部隊アグレッサー ド派手塗装の機体が担う特殊任務とは
航空自衛隊の主力戦闘機F15イーグル。そのパイロットの中から特に優秀な者だけが選抜され構成されるのが、空自最強の戦闘機部隊、飛行教導群(アグレッサー部隊)です。 ド派手な塗装の機体とともに日本全国の基地を転々とする彼らの任務や実像等を詳しくご紹介。
秘密結社〚フリーメイソンリー〛の活動や組織の全貌実態、入会条件や方法とは
歴史も長く、世界最大の友愛結社として名高いフリーメイソンリー。政界財界の著名人なども多数名を連ね、“世界を支配する闇の組織”などと思われがちですが、現実はかなりちがう様子。その活動内容や組織の実態と併せ、入会条件や入会方法など幅広くご紹介。
壁や天井をスクリーンにして映画やゲームを美しい超大画面で楽しもう!
映画にゲームにスポーツ観戦… プロジェクターで大画面を楽しみたくも本体の大きさや画質の悪さから諦めていた方も多いのでは? 今話題のモバイルプロジェクター「CINEMAGE」なら問題なし! コンパクトながら比類なき美しい大画面が実現されコスパも最高です。
【U-NEXT/コスパ最強VOD】雑誌AV全部無料でスマホ視聴も可能!
人気雑誌読み放題、AV見放題、で有名な動画配信サービス(VOD)のU-NEXT。母体はあのUSENで、他社を圧倒する№1の動画本数を誇り、そのコスパは業界最強。入会後の31日間は月額料金無料のため存分に見るだけ見てお金を一切使わずに退会も可能!
「#歴史人物」人気ブログランキング
「#映画紹介」人気ブログランキング
「#事件事故」人気ブログランキング
ブログランキング・にほんブログ村へ
〚プロフィール〛
アナトミアン

旅好き、乗り物好き、自然好き、ぼぉ~っとする時間好き、映画好き、クラシック好き、読書好き、お酒好き、コーヒー好き、甘い物好き、宇宙好き、カメ好き…etc
な、兵庫県在住中年オヤジ。
コロナで外出できない中、たまたま見た動画をきっかけに、暇つぶしとばかり興味のかけらもなかったブログ界に足突っ込む。
なので収益などはあまり気にせず、マイペースな更新で書きたい時に書きたいことだけをのんびり書いてます。
本業は流通系サービス業。
その傍ら、電子書籍にてアヤシイ小説も販売中。
中盤をこえゴールの見えてきた人生、お金では買えない何かを求め日々迷走中🔍

アナトミアンをフォローする
スポンサーリンク
アナトミアンをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました