ガンジス島(中ノ鳥島)とは 《概要》
ガンジス島(中ノ鳥島)とは、現実には存在しないものの古くから日本の遥か南東海洋上にあるとされてきた幻の島(疑存島)で、1830 年代のヨーロッパ製地図にもその記載が見受けられるそうです。
江戸後期の幕府天文方、山路諧孝 による編纂地図「重訂万国全図」(1855 年)と、その後の訂正版(1871 年)《写真:神戸市立博物館所蔵》にも「ガンジス島(中ノ鳥島)」の記載(写真 〇)がなされていますが、当時の日本製地図はヨーロッパ製地図をマネたものが多いらしく、これもおそらくそれによるものかと思われます。
ガンジス島(中ノ鳥島)探検ブームの到来
1800 年代後半 ~ 1900 年代初頭にかけてはイギリスや日本の「水路誌」などに “未確認の島” として掲載され、また小笠原島庁の責任者による無責任な発言(ある会合で「ガンジス島は大きな島でアホウドリがいっぱいいるようだ」などと報告)などもあってジワジワと注目が集まるようになりました。
やがては一攫千金を狙う人々によってワレ先にと探検されるようなったガンジス島(中ノ鳥島)ですが、その背景としては、伊豆諸島「鳥島」での “アホウドリ捕捉事業” で巨万の富を築いた「玉置半右衛門」の存在が大きかったのは言うまでもありません。
また、先にフィーバーを起こしたもうひとつの疑存島、「グランパス島」からも大きな影響を受けました。
グランパス島探検者による “カン違い発見” によって日本の領土となった「南鳥島」には “アホウドリ” だけでなく、大量の “リン鉱石”(当時の火薬原料で莫大な利益を生むもの)もみつかっており、南洋探検ブームは “アホウドリ + リン鉱石” を夢見る人々で一層白熱したものとなったのです。
アホウドリ男、「玉置半右衛門」(写真: Wikipedia より)もガンジス島(中ノ鳥島)探索に赴いたそうですが発見には至らなかったようです。
「鳥島」のアホウドリをさんざん捕殺しつくした後は遠く西の「大東島」も開拓なさったそうで、アホウドリ激減の主犯格はまさにコヤツ。
きっとあの世ではアホウドリの群れに突つき回されてるにちがいありません。
ガンジス島(中ノ鳥島)が発見される !?
多くの探検家が挑むもいっこうに発見されなかったガンジス島(中ノ鳥島)ですが、1908 年、ついに “発見” の報告がなされました。
「山田禎三郎」なる人物からのもので、島の地図まで添付された詳細な “発見届け” が役所に提出されたのです。
“発見届け” に見るガンジス島(中ノ鳥島)の概況
- 位置は “北緯 30 度 5 分・東経 154 度 2 分” で“、小笠原島から 560 里(約 1037 ㎞)の距離
- 周囲は 6543 メートル
- 面積は 64 万 3700 坪
- 大量の「リン鉱石」が堆積している
- 平均して 1 坪に 1 本 “タコ” の樹が生えている
- 数百万羽のアホウドリがいる
…などなど
“発見届け” に添付された地図(上写真)では島を 3 つに区分したうえそれぞれに仮称までつけ、「この島は “ガンジス島” だと思われる」との主張もしっかりなさっています。
ガンジス島(中ノ鳥島)の発見者、「山田禎三郎」の人物像
実際に上陸、調査したとして提出された “発見届け” ですが、「山田禎三郎」なる人物(写真参照: Wikipedia より)はそれほど “島” だの “探検” だのに精通した人物だったかというと実はそうではありません。
その実像は師範学校の校長や教科書出版社の社長などを経歴に持つ、どうみても “探検” などとは無縁のインテリ系です。
そして、一見問題なく思える “発見届け” にも随所に大きな矛盾点が見受けられました。
ガンジス島(中ノ鳥島)発見報告内容の矛盾点
- “島の北緯と東経” が、“小笠原島からの距離” と合わない。(報告通りの位置ならば島の距離はもっと遠くになる)
- “周囲の長さ” が “面積” と合致しない。(報告通りの周囲ならばもっと大きな面積となる)
- 乱獲で激減していた “アホウドリ” が小さな島に数百万羽もいるのはあまりにも不自然。
- 何よりも、秋から冬にかけてやってくる渡り鳥が 8 月に大挙して存在するのはありえない。
…などなど
これらに加え、そもそも “発見” した 1907 年から発見届けが提出される 1908 年までの 8 ヵ月間一体どこで何してたんだ、といった疑問も存在します。
ライバル達の多い中、発見したならすぐさまお上に届け出るのが常識でしょう。
わざわざ出願して「リン鉱石」の採掘権などを得たにもかかわらず、その後は存在感を消し去って放置プレーに突入した山田禎三郎…
謎多き人物です。
このように疑惑に満ちた “発見届け” や “発見者” ですが、それを鵜呑みにした明治政府は同年(1908 年)のうちに早々とガンジス島(中ノ鳥島)を日本領土へと組み込み、その正式名称を「中ノ鳥島」と命名 しました。
「無主地先占の法理」(国際法上の、いわば早い者勝ち)ってやつです。
そして「南鳥島」はアッというまに “日本最東端” のチャンピオンベルトを中ノ鳥島(ガンジス島)に奪われてしまいました。
とりあえず地図上は…
日本国領土認定後の 中ノ鳥島(ガンジス島)
“幽霊島” から晴れて大日本帝国の “領土” へと昇格した中ノ鳥島(ガンジス島)ですが、“発見” した「山田禎三郎」以外実際に島を見た者もおらず、やがて人々の興味も薄れその後しばらくはウヤムヤのうちに放置されることとなりました。
山田氏の発見報告から 5 年経過した 1913 年以降、中ノ鳥島(ガンジス島)に再び開拓の機運が高まり、民間の船や海軍の調査船などがたびたび周辺海域に赴くこととなります。
…が、なぜかあるべき地点に中ノ鳥島(ガンジス島)が見つかりません。
調査に調査を重ねたあげく、
「こんな島、やっぱねーじゃんかよ !」
として最終的には領土から削除され、地図からも葬られることとなりました。
なんと発見報告から 38 年も経過した太平洋戦争終結後(1946 年)のことでした。
中ノ鳥島(ガンジス島)不存在の有力説は ?
中ノ鳥島(ガンジス島)の謎については、
❶ 実際に存在したものの事後に “消失” した とする説
❷ 他の島と “カン違い” した とする説
➌ 存在しないものを存在するとした “でっち上げ” 説
…などがいわれていますが、発見者の素性や曖昧な経緯、前述した数々の矛盾点などから “でっち上げ” 説が最有力 のようです。
中ノ鳥島(ガンジス島)が “消失” した可能性は ?
一般的に起こりうる陸地の “消失” 原因としては “噴火による崩壊” や “地殻変動による沈降” などがありますが、中ノ鳥島(ガンジス島)の報告された位置は火山帯から大きく離れており、添付された地図や調査記録からも火山だとは到底思えません。
また地震帯でもないため巨大地震で沈んだとも考えにくいでしょう。
そもそも地震であろうが噴火であろうが、島ひとつが一気に沈めば当然日本にも巨大な津波が押し寄せてくるはずですが、それを疑わせる当時の記録は存在しないようです。
仮に何らかの原因でゆっくり沈んだとしたらどうでしょう。
ならば当然その周辺海域のどこかにごく浅い海底があるはずです。
…が、これについても判明している海底地形から否定されています。
なぜなら、報告されている島の位置は「北西太平洋海盆」 (地図 赤矢印)とよばれる 5000㍍ 級の深海平原がひろがる真っ只中だからです。
とはいえポツリポツリと海底の山(海山)は存在し、比較的近い場所にも「マカロフ海山」なる 4000㍍ 級の山が一つそびえています。
ただ、これにしても山頂部分は海面から 1000㍍ 以上もの深さとなり、中ノ鳥島(ガンジス島)が短期間のうちに沈んだものと考えるにはムリがありましょう。
などなどから “消失” 説は考えにくいとされています。
他の島を 中ノ鳥島(ガンジス島)と “カン違い” した可能性は ?
次に他の島との “カン違い” 説ですが、基本周囲に “カン違い” されるような島はまったくありません。
もっとも近いとされる「南鳥島」からも約 650㎞ の距離があるとされ、現実に存在するならばまさに絶海の孤島です。
仮にほぼ同じ緯度(横ライン)の「鳥島」や、ほぼ同じ経度(縦ライン)の「南鳥島」と間違えたってことは考えられないでしょうか。
残念ながら発見したとされる 1907 年当時は両島ともすでにヒトが住み着いており、これも却下です。
「鳥島」に至っては、いくら緯度が同じとはいえ約 1350㎞ も離れており、また直前に大噴火を起こしたばかりの現役バリバリの火山なので山田氏の報告内容とはかけ離れています。
などなどから “カン違い ” 説もありえないでしょう。
となると…
「おい、禎三郎… オメーいったい何言ってんだ ??」
てことになってきます。
中ノ鳥島(ガンジス島)の本命、“でっち上げ” 説とは
とりあえず最有力とされているのは、“詐欺師に利用” されたあげく、行ったこともなく見たこともない宝の島を山田氏が「でっち上げた」という説です。
“疑存島ブーム” も初期の頃は盛んに探検されてましたが、いつしか “島を発見” することよりも “国家のお墨付きを得て権利を獲得する” ことに重きが置かれるようになりました。
実態はどうあれ、お上から “領土” と認定されれば莫大な投資を得ることが容易になるからです。
当然 “国家のお墨付き” を得た各種権利は高額で売却することが可能となりました。
こうした背景を考えると、当時話題になっていたガンジス島(中ノ鳥島)の権利をそれなりに社会的信用の高そうな “誰か” を利用して GET してやろう、と悪知恵を働かせた輩がいたとしてもおかしくはありません。
その利用された “誰か” というのが、つまりは「山田禎三郎」だったのでは、というわけです。
そんなこんなで、山田氏の得た中ノ鳥島(ガンジス島)の実態なき “オイシイ権利” はその後どうなったのか…
などなど非常に気になるとこですが、残念ながら真相は今も闇の中のようです。
ちなみに、一部の法律のどこかの条文にはまだ「中ノ鳥島」なる記載が亡霊のように残っているとか…
南無阿弥陀仏
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