高級&絶品の「くずきり」求めていざ参ろう! 京都祇園【鍵善良房】
創業数百年、京都で高級かつ絶品の「くずきり」を味わいたくばもはやここ一択。
京都市内でタクシーに乗り込み、
『くずきりの美味しいお店へ!』
と言えば、おそらくどのドライバーにも連れて行かれるのは八坂神社の門前、【鍵善良房】(かぎぜんよしふさ)でしょう。
個人的な話をするならば、若かりし頃、デート途中の休憩でたまたま入ったのがこの店との出会い。
なんとなく定番商品らしき「くずきり」を頼んだだけだったのですが、そのあまりの美味しさに彼女(現人妻)共々びっくり !
以後は京都に行けば必ず立ち寄るお気に入りのお店となりました。
その深い歴史や多くの文人墨客に愛された名店であることを知ったのは後からのこと。
【鍵善良房】の「くずきり」の特徴とは
「くずきり」など製法そのものは単純で、
〖葛(くず)を水で溶いて湯煎し、その後冷水でとったのち細く切る〗
だけなのですが、だからがゆえに “素材選び” や作り手の微妙な “加減” で出来上がりに大きな差が生じます。
【鍵善良房】の「くずきり」が絶品なのは、そこに一切の妥協がないからで、素材に関しては一貫して極上の同じものを使い続けています。
「くずきり」の 素材・製法 等
「葛」は奈良吉野、大宇陀(おおうだ)町の【森野吉野葛本舗】から取り寄せたもの。
喉ごしの良さとコシの強さは最上質の「葛」ならではのもので、手間暇かけてとれる「葛粉」は根の重量のわずか 1 割程度しかなく、これは “漢方薬の原料” にも使用されているため健康食品としても申し分ありません。
製法も昔ながらの手作業で、寒さの一番厳しい時期に「葛」の根を細かく砕き、地下水に何度も晒して精製したのち自然乾燥させる「吉野晒し」と言われるもの。(上写真)
【森野吉野葛本舗】
森野家の祖先は吉野南朝に仕え、吉野郡下市に居住していました。およそ 450 年前初代が農業の傍ら葛粉の製造を始め「吉野葛」の名称が世に知られるようになりました。元和 2 年(1616 年)には葛粉の製造に欠かすことのできないより良質な水、寒冷な気候を求めて現在の「大宇陀」に移住しました。今でも「吉野晒し」と呼ばれる自然製法を守り、実績のある高品質を提供し続けております。
奈良銘品館 HP より
また、黒蜜に使用される「黒糖」は沖縄県波照間(はてるま)島産のもので、「葛」と相性のよく合うすっきりした味わいのコク深い物が選ばれています。
“食べる宝石” たる京菓子は、箱・掛け紙・器 など “見た目” もあわせて初めて完成するもの。
江戸時代より京菓子の「菊寿糖」(きくじゅとう)で名を馳せてきた【鍵善良房】ですが、当然 “見た目” を大切にするその心は昭和以降供されるようになった「くずきり」においてもきっちりと守られています。
「くずきり」の器は “匠” の作 / 壁の「屋号」は “文豪” 直筆
螺鈿(らでん)の施された「くずきり」用器は、京都祇園を拠点に活躍した木工の匠《黒田辰秋(くろだたつあき)》氏の作品だそうで、民芸に関心を寄せた【鍵善良房】の 12 代店主が調度類の意匠を彼に任せて以降取り入れられたものなんだそうです。
作家《水上勉(みずかみつとむ)》氏に『京の味の王者』とまで言わしめた至極の「くずきり」を味わいつつ、ふと店内を見回せばそこには文豪《武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)》氏直筆の屋号が…
気分転換がてらふらりと京都へ出向き、それを愛した文人墨客たちに思いを馳せながら目と舌の両方で極上の「くずきり」を堪能する、なんてひと時もまた素敵でよろしいのではないでしょうか ?
「くずきり」以外にもメニューはありますので「くずきり」がお嫌いな方や “葛アレルギー” の方がご同伴でも心配ご無用です。(以下写真はメニュー一例)
【鍵善良房】HP より
尚「くずきり」は “通販” 等による取り寄せや “持ち帰り” には一切対応しておらず、味わうには直接京都へ出向き、下写真でご紹介している各店舗内で召し上がる以外方法はありません。
「くずきり」の値段っていくら?
〖参考画像(店舗メニュー)〗
原料費の増減などで変動させている可能性が高いですので、最新確実な値段をお知りになりたくば、以下(店舗ギャラリー下)に貼り付けた HP などで別途ご確認下さい。
【鍵善良房/店舗ギャラリー】
【鍵善良房】四条本店
【鍵善良房】高台寺店
【鍵善良房】ZEN CAFE
【鍵善良房】HP より
※ 各店舗の 定休日・営業時間・地図 等の詳細はこちら〖鍵善良房 HP〗にてご確認下さい。
【参考動画】
〖鍵善良房の絶品くずきり〗
〖『鍵善良房』京都祇園の老舗菓子店の絶品くずきり 〗
〖くずきり 鍵善良房〗
〖菊寿糖 鍵善良房〗
謎多き【鍵善良房】の歴史
【鍵善良房】なる屋号の由来や創業の正確な時期は、意外や意外、なんと関係者ですら誰も知らないんだそうです。
“一応” 享保年間(江戸時代・1716 ~ 1736 年)とされている創業開始期は、現存している菓子箱の一番古い記載からそう推測されているだけで、近年蔵から発見された書物などを詳しく調べればさらにさかのぼる可能性もあるとか。
屋号に関しては、江戸期の資料では【鍵屋良房】、明治期の資料では【鍵善】となっており、江戸期のどこかの段階で【鍵善】に変わったのであろうと言われていて、こちらも謎。
その後、明治以降のどこかで江戸期に用いられていた “良房” が【鍵善】に付け加えられ現在の屋号【鍵善良房】になったと考えられています。
その【鍵善良房】で「くずきり」と並ぶもうひとつの看板商品が干菓子の「菊寿糖」(きくじゅとう)ですが、これもいつから作られているのかはっきりしてないんだとか。
一応江戸末期、1864 年の菓子箱が残っていることから、少なくとも 150 年以上のロングセラー商品であることだけは間違いないそうです。
ちなみに菓子の名は、〖その昔、菊の葉に溜まった露を飲んだ少年が 800 年の長寿を得た〗という「菊滋童」なる故事にちなんだものなんだそうです。
「菊寿糖」は以下よりネット購入も可能ですので、よろしければご利用下さい。
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商品内容等は時の経過その他により変わる可能性もあります点、悪しからずご了承ください。
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