【はじめに】
神経衰弱、ヒステリー、狂い死に…
勤務地により多少のちがいはあったかもしれませんが、わが国で「灯台守(とうだいもり)」をしていた方々のご家族にとって、概ねこれらはよくあることだったようです。
また、「灯台」は戦時中敵艦の発見や見張り役も担っていたことから爆撃の標的ともされ、何人もの職員やご家族の方がそれによりお亡くなりになられました。
システムの自動化に伴って、「灯台守」と呼ばれる仕事や人たちは、今現在日本にはもう存在しませんが、人里離れた孤独・過酷・危険極まりない環境の中で、命を張って灯台と航海の安全を守り抜いてきた彼らや、そのご家族が味わったであろう辛い日々の生活は察するに余りあります。
今回は、そうした元「灯台守」の方々やそのご家族、および現在の保全管理者たる「海上保安官」の方々に敬意を表しつつ、その “地獄” とも言われた「灯台守」の仕事や生活を、灯台の 歴史・基本知識・豆知識 などとも併せご紹介。
【今は無き日本の灯台守】 「灯台守」の孤独で危険な仕事と “地獄” とも言われた過酷な生活
孤独・過酷・危険 な仕事の代表格「灯台守」とは
海に囲まれたわが国では必然的に灯台の数も多く、訪れる人もその多くが天気の良い日に観光目的で訪れることかと思われます。
が、その立地から、荒天時の状況や、毎日そこで暮らすことを想像して頂ければ、そのいかに過酷たるやがお分かり頂けるのではないでしょうか。
今現在、日本ではすべての灯台が自動化されましたが、灯台に併設・隣接した建物を住まいとしながら、その整備や保全管理を使命とする過酷な職業が、世界各地、海に面した国にはまだまだ多く存在しています。
「灯台守」といわれる仕事(またはその仕事に従事する人たち)です。
ちなみに、上写真の「大瀬埼(おおせざき)灯台」は、太平洋戦争時、出征した多くの将兵が “最後の見納め” とした日本の地、長崎県福江島(五島列島のひとつ)の大瀬埼に建つ灯台です。
西暦 664 年、遣唐使船の安全航行のために、昼はのろし、夜はかがり火、を焚かせたのが大瀬埼灯台の起源とされ、日本初の灯台ともいわれています。
灯台右下の建物(画像 〇)に昭和末期頃まで灯台守の方が住んでらっしゃったようですが、写真だけでも 孤独・過酷・危険 を極めたであろう厳しい生活が十分に窺い知れます。
1945 年に米軍潜水艦による砲撃を受けたそうですが、丸屋根を貫通しただけでレンズは無事だったとか。
民間委託など形態は国によって様々ですが、日本の場合は終戦までは「逓信省(ていしんしょう)灯台局」が、終戦後は「海上保安庁」が全灯台業務を所管したため、それら職員たる灯台守はすべて国家公務員でした。
“動画” と “文献” に見る過酷を極めた日本の「灯台守」
下動画 より
【動画】に見る昔の日本の灯台守(佐多岬灯台)
以下の動画は、本土最南端の鹿児島県佐多岬にある明治4年に建設された「佐多岬(さたみさき)灯台」とその灯台守を紹介したものです。
岬の先端のさらに向こうの小島にあるため船でしか行けず、昔は資材をゴンドラで宙から運搬していたんだそうです。
現在の灯台は、空襲での大破のあと昭和 25 年に建て替えられた2代目だそうで、灯台守は昭和 38 年まで常駐していたとか。
『10 年間の苦労で顔はシワだらけ。私の年を当てる人は一人もおりません』
と記された、当時 30 歳だったらしい灯台守の妻の残した手記が、その過酷を極めた生活を如実に物語っています。
〖佐多岬灯台の灯台守 日本財団 海と日本PROJECT in 鹿児島 2022〗
【文献】に見る “かなり昔” の日本の灯台守
以下の画像は〖国立国会図書館〗所蔵の文献【我等の燈臺守】から抜粋したもので、“かなり昔” の灯台守の超過酷な生活がリアルに描かれています。
古い文献でスラスラとは読みづらいかもしれませんが、無料で読み放題ですので、興味がおありなら画像下のボタンをクリックして全文じっくり読んでみて下さい。
一応画像のポイント部分だけを簡単に記せば、以下赤枠内のような感じ。
・周囲の自然はこの世の別世界
・周囲は激しい荒海
・世間とはまったく縁がなくなる
・憂鬱の世界
・自由は得られない
・水に不自由
・慰められる設備が何もない
・1本のマッチや煙草にも愛情を感じるようになる
・日常のやるせなさは想像に余りある
・北国では半年も雪に閉ざされてしまい外出もままならない
・生まれてくる子を夫が取り上げる
・子供の教育がまともにできない
・家族の神経衰弱・ヒステリーは避けがたく、狂い死にする者も
・重病者は大抵手遅れになる
【我等の燈臺守】/ 国立国会図書館所蔵
日本最後の「灯台守」(女島灯台 / 長崎県)
灯台守の過酷な生活は【喜びも悲しみも幾歳月】といった映画などでも描かれ、すでにご存知の方も多いでしょう。
ただ、いつぞやより灯台の自動化が順次推し進められ、2006 年 11 月、長崎県五島列島の「女島(めしま)灯台」(上写真)を最後に全ての自動化が完了し、それに伴ってわが国の灯台守もその役割を終えることとなりました。
猛者ぞろいの灯台守といえども、さすがにこのような環境下で何年も住まわされることはなかったらしく、「女島灯台」へは職員 4 人が 10 日交替で派遣されていたそうです。
とはいえ普通の人ならその 10 日すらもたないでしょうが…
同じ五島列島の「大瀬埼灯台」(前述)の 5 倍もの総工費がかかったそうで、女島での灯台建設がいかに難工事だったかがうかがい知れます。
【参考動画/女島灯台】(NCC 長崎文化放送)
〖【カメラマンリポート】「女島灯台」〗
【灯台の基本知識・豆知識】「灯台」の 目的・起源・歴史 等
基本周囲に何もなく、島や岬の端っこにひっそりと佇むシンプルな建物「灯台」。
にもかかわらず、それに魅せられる人は数多く、みなさんも旅先などで一度や二度は訪れたことがあるのではないでしょうか ?
多くの灯台では息をのむような絶景が味わえ、訪れる人もそれを目的とする人がほとんどでしょうが、当然灯台は “観光施設” ではありません。
夜間、海上を航行する船舶が自分の位置を知り、進むべき方向を見定めるための重要な指標となる存在です。
その重要性は、戦後、GHQ が「一般命令第 1 号」の中で、自分たちが破壊した灯台を即座に復旧するよう指示したことからもお分かりになりましょう。
島国である日本は、船舶に注意等を促す「航路標識」といわれるものがことのほか多く、灯台だけでも 3125 基、灯標(とうひょう)や浮標(ふひょう)等その他すべてをあわせると 5153 基にものぼります。(令和 3 年 3 月 31 日時点 海上保安庁統計)
そして世界一古い灯台はというと…
日本で小さな集落と稲作がようやく根付いてきた弥生時代、エジプトに世界最古ともいわれる超スゴい灯台が出現しました。
「灯台」の起源は古代エジプトにあり!
灯台の歴史は古く、文明の発達していた他国においては紀元前より存在していました。
灯台の役割を果たしたもの、として最も古いとされているのは “紀元前 7 世紀にナイル川河口の寺院の塔で火が焚かれたもの” のようですが、本格的な灯台として最も古いとされているのは “紀元前約 300 年頃にエジプトのアレクサンドリア港の入り口に建造された「ファロス灯台(アレクサンドリアの大灯台)」” だといわれています。
※ 起源については資料等によって微妙なちがいがあるためイマイチはっきりしませんが…
“世界七不思議のひとつ” ともいわれる「ファロス灯台」は高さ約 135 メートルにもなる巨大なものだったそうで、当時ではギザの大ピラミッドに次ぐ高さだったとか。
約 20 年かけて建造され、1000 年以上もの長きに渡って存在したそうですが、度重なる地震によって完全に崩壊してしまったそうです。
“鏡の反射光で敵の船を燃やした” 等真偽不明の伝説もチラホラ。
内部にらせん状の階段が設けられていて、ロバが頂上まで薪を運んだと考えられています。
「観音埼灯台」= 日本最古の「西洋式灯台」
日本における西洋式灯台第 1 号は 1869 年(明治 2 年)に初点灯した神奈川県横須賀市の「観音埼(かんのんさき)灯台」(上写真左)で、1866 年にアメリカ・イギリス・フランス・オランダと結んだ「江戸条約」によって建設を約束した 8 つのうちのひとつです。
1923 年(大正 12 年)、初代観音埼灯台が地震で被災したため取り壊して新たにコンクリート造のものに建て替えられましたが、なんと関東大震災によって半年後に崩壊。
「二代目観音埼灯台」は幻ともいえる存在です。
1949 年、初代観音埼灯台の着工日である “11 月 1 日” が海上保安庁によって「灯台記念日」と指定されました。
オススメ映画【喜びも悲しみも幾歳月】
【ストーリー】
U-NEXT
昭和 7 年。新婚の灯台守・有沢四郎と妻・きよ子は、東京湾の観音崎燈台に赴任する。その後、北海道の石狩燈台、五島列島の女島燈台と転任を重ねる間に、子供が生まれ、夫婦げんかをし、同じ灯台守と親交を深める。昭和 16 年、灯台守たちにも戦争の影が差し…。
上映画【喜びも悲しみも幾歳月】は動画配信サービス「U-NEXT」にて現状(2021 年 12 月現在)タダでご覧になれます。
古い映画ですが、まだ見られたことのない方はぜひ !
DVD の ご検討・ご購入に
DVD【喜びも悲しみも幾歳月】
DVD【新・喜びも悲しみも幾歳月】
歌詞で知る「灯台守」★ 心に染み入る有名な歌2選
文部省唱歌【灯台守】
映画主題歌【喜びも悲しみも幾歳月】
最後に
余談ながら、初代南極観測船として有名な「宗谷」は『燈台の白姫』といった愛称もあり、灯台守の家族に物資などを運ぶ “灯台補給船” としての役割を担っていた時期もありました。
現在は東京都品川区にある「船の科学館」にて展示公開されております(上写真)ので機会があればぜひ !
「宗谷」は南極観測船以外の顔もスゴイ !
⇩ 詳しくは以下記事にて ⇩
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