【エリザベートバートリ/中世ハンガリー貴婦人】動機は若返り! 殺害少女は 650 人! その血で入浴!
感情の起伏が激しく攻撃性豊かなのは女性本来の姿かもしれませんが、どんなに残酷な女性も彼女の右に出る者はいないでしょう。
その名は「エリザベート・バートリ」、またを「バートリ・エルジェーベト」。
1600 年代のハンガリーの伯爵婦人で、歴史上の残虐非道な女の中ではおそらくトップに君臨しましょう。
若さと美貌のためだけに 650 人ともいわれる少女を殺害し、殺したばかりのまだ温かい血をバスタブに注ぎ入れて入浴していたという狂気に満ちた女性です。
(画像:エリザベート・バートリ Wikipedia より)
体調の悪い時には栄養を求めてか、少女の顔や乳房にも食らいついたといわれ、もはや吸血鬼といわれても不思議ではありません。
日々のメイクに始まり、エステだのダイエットだのとオンナ達の美への追求はとどまることを知りませんが、真っ赤な温かい血に満たされたバスタブでくつろげる女性はそうはいないはずです。
果たしてエリザベート・バートリとはどういった人物だったのでしょうか。
エリザベート・バートリの異常な人格は “異常な家系=近親婚” にあり?
エリザベートバートリの残虐性を語るうえで、まず外せないとされるのが「近親婚」です。
王家などとも深いつながりを持つバートリ家の家柄は相当に高く、そこに他の血筋が混ざることを嫌ったバートリ家は必然的に近親婚を繰り返すようになりました。
日本では民法で 3 親等内の血族婚が禁じられていますが、これは優生学上「ヤバイ子孫」が誕生しやすいとされているからです。
身体的にも精神的にもです。
その「ヤバイ子孫」が当然のごとくバートリ家に誕生してしまったわけで、エリザベートだけでなく、悪魔崇拝に憑かれた叔父や、相手構わず婦女子を凌辱した兄弟の行為も近親婚による影響であろうといわれています。
(画像:25 歳のエリザベート Wikipedia より)
エリザベートも若いうちからかんしゃくを起こしやすく、精神異常的な言動もしばしばみられたようですが、本格化したのは結婚して以降といわれています。
夫の死後、夫から贈与されていた「チェイテ城」なる城に移り住んでからはその残虐性にも拍車がかかり、若い女への折檻と惨殺が彼女の日課となりました。
今は城跡の一部を残すのみのチェイテ城ですが、見るからに人里離れた「吸血鬼」に相応しい佇まいといったとこでしょう。
少女連続猟奇殺人のきっかけ
チェイテ城の周囲には何もなく、夫も一年のほとんどを軍の指揮官として戦地に出向いていたため、気を紛らわすためエリザベートの日常は贅沢三昧となりました。
男女問わず愛人達との肉欲交歓にも明け暮れ、そんな中で最も執着したのが若さと美貌を保つことだったといわれています。
40 歳もまわり、自身の美貌にも陰りがみえ始めていたある日、大きな転機が訪れました。
若い女中の通す櫛にエリザベートの髪が引っ掛かって何本か抜けてしまったのです。
激怒したエリザベートが凶器を振りかざして折檻した際、浴びた返り血を拭ったその部分だけがなぜか美しく若返ったように見えました。
「私に必要なのは処女の血…」
650 人もの少女を惨殺する「吸血婦人」が誕生した瞬間でした。
残虐行為・猟奇殺人 の数々
約 650 人ともいわれる犠牲者のまず序盤は手近な若い女中達です。
最初のうちは折檻による精神的満足を得ていただけでしたが、「血」を求めるようになってからは犠牲者の数も膨大なものとなっていきました。
エリザベートのサディスティックな行為は、残虐なことで有名であった夫「ナーダシュディ・フェレンツ 2 世」(画像参照 Wikipedia より)から教え込まれたともいわれており、「鉄の処女」(下記にて説明)による惨殺以外にも以下のような行為が伝えられています。
- 棒による殴打やムチ打ち
- 全身にハチミツを塗ってアリにたからせる
- 爪先に針を突き刺す
- 柔らかい部分の肉に噛みつき食べる
- 餓死させる
- 火傷させた後に凍死させる
- ナイフで皮膚や性器を切り裂く
などなどですが、おぞましい行為は他にも数限りなくなさっていたかと思われます。
そして、こうした折檻や殺害はエリザベート単独でなし得るのは困難で、これらに協力した(させられた ??)者も複数名存在しました。
近親婚の影響からか、幼い頃より激しい頭痛に悩まされていたエリザベートでしたが、女中の悲鳴を聞くことによってその頭痛がピタリと治まったそうです。
「鉄の処女」とは
エリザベートが考案したともいわれる殺人マシーン「鉄の処女(アイアンメイデン)」(写真参照 Wikipedia より)は、旧ヨーロッパの拷問(処刑)器具として世界各地の博物館などに展示されていますが、現存するものはすべて複製品で、実際に存在したかどうかについては疑問視されています。
微妙な “つくり” の違いはありますが簡単に説明しますと…
等身大より一回り大きな「ヒト」を型どったような外観で、観音開きの前面をバカッと開くと内に向かって伸ばされた無数のトゲトゲが出現します。
そして中の空洞にヒトを押し入れて扉をバカッと閉じるとトゲトゲが全身にブスブスブスッてわけです。
エリザベートオリジナルの「鉄の処女」は、流れ落ちた血がそのままバスタブに注がれる「効率」のいい作りになっていたとか。
最初の被害者は「農民娘」
若い女中を惨殺し尽くした後、「血の提供者」を城の外に求めたエリザベートは農民の娘達を言葉巧みに、あるいは誘拐して城中に監禁し、同様の残虐行為を行いました。
初めのうちこそ死体は城内のあちこちに埋葬されたそうですが、やがてはゴミのように遺棄されるようになり、城の周囲から多数の遺体が発見されるようになったことによって村人達の疑念は確信へと変わります。
しかしながら、城内を捜査するよう然るべき機関に申し出てもエリザベートが有力者であることから長きにわたり黙殺され続けました。
次なる被害者「貴族の娘」が逮捕のきっかけに
悪い噂が広まったこともあり、農民の娘を GET することがままならなくなったエリザベートが次なる「獲物」と定めたのは下級貴族の娘達です。
「礼儀作法を教える」などと半ば強制的に招集したその娘達の血も容赦なく搾り尽くしました。
ただ、下級とはいえ新たなる行方不明者が「貴族」の娘達だったことから王家の耳にも入ることとなります。
王家からの不信感も募るなか、監禁されてた一人の少女が城から逃げ出し、一部始終を証言したことによってようやくチェイテ城に強制捜査が入ることとなりました。
放置されたままの無惨な遺体や、息も絶え絶えの少女達…
捜査で入城した兵士達の目に飛び込んできたのはまさに地獄絵図でした。
エリザベート・バートリの最後
エリザベートの協力者達は全員捕らえられ、拷問の後ひとり残らず処刑されます。
が、当のエリザベートに関しては、身分の高さやその他諸々の事情から処刑とはされず、チェイテ城の自室にて「生涯幽閉」の判決が下されました。
とはいえ、ある意味処刑以上に残酷な刑かもしれません。
窓や扉など、隙間という隙間はすべて塗りかためられ、24 時間 365 日、暗黒だけの世界にただ放置です。
食事が 1 日 1 回小窓から入れられるだけでトイレもありません。
普通の人間なら 1 ヶ月ももたず発狂死しそうですが、さすがというか、エリザベートはその漆黒の闇の中 3 年半も生き抜きました。
享年 54 歳。
監視の兵に「寒さ」を訴えたそのすぐ後、死が確認されたそうです。
死後、美を追求していたエリザベートは、明るみでいかなるおぞましい姿に変貌していたのでしょう。
誰がどこに埋葬したのかは、いまだはっきりしていないそうです。
怪奇スポットとして現在は観光名所ともされているチェイテ城跡。
出没するらしき幽霊は被害者の少女達なのか、はたまたエリザベートなのか…
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