秘境「黒部峡谷」とホウ雪崩(泡雪崩)
〖黒部に怪我はない〗
その急峻な地形に加え、一定の条件が揃う黒部峡谷は、 “ホウ(泡)雪崩” と呼ばれる特殊な雪崩を多発させることで、古くから地元の人達に恐れられてきました。
私個人は 吉村昭 氏の著作、「高熱隧道」をたまたま読んだのがきっかけで “ホウ(泡)雪崩” の存在やその恐ろしい実態を初めて知ったのですが、この雪崩を知っている方はその大半が当小説の読者ではないでしょうか。
吉村昭 著「高熱隧道」とは、黒部川上流にダムや水力発電所を建設するにあたって、そこに資材や人員を行き来させるために必要なトンネル掘削工事についてを描いた小説で、“記録文学” と称されている中のひとつです。
100 度をはるかに超える岩盤や、そこから噴き出す熱水、高熱で自然発火するダイナマイトや、それにより飛散した遺体…
坑内では “熱” 、坑外では “雪崩” 、に命を脅かされる悲惨極まりない現場の様子がリアルに描かれています。
【参考動画】
〖【登山】下ノ回廊水平歩道2019【超危険】〗
※ 高所恐怖症の方はご遠慮下さい
“ ホウ雪崩(泡雪崩)” とは
一応 “大規模な煙型乾雪表層雪崩” といった長ったらしい定義はあるようですが、簡単に言えば「雪煙 & 爆風」ってとこでしょうか。
通常の雪崩は、雪が積もりに積もって雪の塊が斜面を滑り落ちる、といったものですが、“ホウ(泡)雪崩” はそのイメージとはまったく異なり、空気をたっぷりと含んだ大量の新雪が、何らかの作用を受けて凄まじい “爆風” を巻き起こし、猛スピードで急斜面を駆け抜ける、といった感じです。
※ 写真:イメージ
発生エリアや発生条件なども限られることから、古来よりごく少数の人にしかその存在が知られてこなかった “ホウ(泡)雪崩” ですが、電源開発に伴って多数の人間が黒部峡谷に立ち入り、被害が大々的に報道されることなどによって、その恐ろしさがやがて一般人にも知れ渡るようになりました。
以降、大学のグループなどが現地に出向いたりしながら調査研究を重ねていくも、いまだ詳しいメカニズムなどは明らかとなっていません。
富山大学と北海道大学の合同グループが、実地調査のため多数の犠牲者を出した志合谷を訪れた際、観測機器を取り付けるために、太さ 15 センチ、長さ 3 メートル、の H 型の鋼を地面に 2 基打ち込んだそうですが、翌春、あらためて現場に赴くと、“ホウ(泡)雪崩” の直撃をうけたらしく、2 基とも途中からアメのようにグニャリと曲がっていたそうです。
観測装置に “135ton/㎡” といった数値が残されていたこともあるそうで、これは 鉄筋コンクリートが破壊されるとされる “100ton/㎡” を大きく上回るものだそうです。
吉村昭 著「高熱隧道」の “真説” とは
志合谷にて初動調査にあたったひとり、北海道大学教授(当時)の 清水弘 氏は、実態が少しずつ明るみになるにつれ “ホウ(泡)雪崩” の本格的解明の必要性を感じ、30 年以上前の雪崩事故の追跡調査をあらためて一からなさいました。
雲をも掴むような中、少しずつ生存者の証言などを精査していく中で、やがて「高熱隧道」の記述と食い違う点がいくつも浮き彫りとなり、
「こりゃイカン」
として「“真説” 高熱隧道」なるものを発表されるに至ったのです。
抜粋すると…
① 「高熱隧道」で、〖雪崩によって起こった風圧が坑口から入り込んでトロッコを坑内の奥に向かって暴走させた〗とされるのは、
【トロッコは吸い出されるように坑内を出口に向かって自走した】
② 「高熱隧道」で、〖84 名の遺体は奇跡的にも 1 体残らず収容された〗とされるのは、
【20 名以上の行方不明者がいる】
…というのが本当のとこだとか。
他にも、食い違いや事実無根の記述が多数散見されることから、清水氏は話を伺うため吉村氏の自宅にまで赴いたそうですが、最後まで話がまとまることはなかったそうです。
清水氏は「“真説” 高熱隧道」の “あとがき” にて、
「著者(清水氏)の現地調査、および生存者証言の結果からも、吉村氏の「高熱隧道」 は “記録文学” と称されているにも拘わらず、その作品内容には誤った記述や虚構が多く含まれていると言わざるを得ない」
とバッサリ締めくくっています。
最後に
私自身を含め、「高熱隧道」 ファンの方々や「吉村昭」 ファンの方々にはちょっと苦々しい “真説” ではありますが、ここは吉村氏を上回る調査力で事実を突きつめ、臆することなく偉大な作家センセイに物申した清水氏に敬意を表したいと思います。
しかしながら、彼もまた「高熱隧道」の面白さに引き込まれ何十回も読み返したひとりでもあります。
フィクションであれノンフィクションであれ、読む者をどこまでも魅了する吉村氏のペンの力は天国においてもまだまだご健在のことでしょう。
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【参考動画】
〖記録文学の大家・吉村昭の世界〗
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