【はじめに】
日本人で嫌いな人はほぼいないであろう「カレーライス」。
スーパーでもカレーに関するコーナーはたいてい広く設けられており、高いものから安いものまで数多くの中からどれを買おうかといつも悩まされます。
そうした中で、よく目につくのが “海軍” だの “海自”(海上自衛隊)だのと名のつくもので、“横須賀(よこすか)海軍カレー” や “呉(くれ)海自カレー” などは特に有名です。
果たして、旧日本海軍や現海上自衛隊とカレーライスには一体何の繋がりがあるのでしょうか。
また、それら組織においてカレーライスが定番メニューとされるようになった歴史的背景はどういったものなんでしょうか。
てなわけで、今回はわが国におけるカレーのルーツと併せ、「海軍カレー」および「海自カレー」の発祥や特徴、さらには両者のレシピ等も詳しくご紹介。
日本のカレーライスは「海軍」由来 ?
インド発祥のカレーは、江戸時代末期にイギリス経由で日本に伝わりました。
日本で初めて “カレー” という料理の名を紹介したとされる書物は 1860 年に発行された《福沢諭吉》の【増訂華英通語(ぞうていかえいつうご)】。
現在日本において主流とされるカレーの具、ジャガイモ・ニンジン・タマネギ などは、明治期ではまだ珍しい「西洋野菜」であったためあまり使用されることはなかったようですが、“国産の安価なカレー粉” や “西洋野菜の国内生産” が広く普及したことによって、大正時代には現カレーライスの原型ができあがったと考えられています。
国産初の “カレー粉” は、1905 年(明治 38 年)発売の「蜂カレー」で、その製造元(現ハチ食品)は日本最古のカレーメーカーとして現在(2022 年 10 月時点)も営業を続けています。
商品名の由来は、初代創業者が倉の中でカレー粉を調合していた際に、窓に止まった 1 匹の蜂に朝日が注ぎ、その金色とも飴色ともつかぬ美しい輝きに感銘を受けたことから「蜂カレー」と名付けたそうです。虫はアカンって…
発売当時の商品にはパッケージにも蜂の絵が描かれており、カレーライス自体が珍しかった当初には「蜂が入っているのか ?」という問い合わせもあったそうな。
「蜂カレー」は、昭和初期には西日本を中心に販売されていましたが、昭和後期には製造休止となりました。
ちなみに日本初の “即席カレー” は、1906 年(明治 39 年)に発売された「カレーライスのたね」なるものだそうです。
日本海軍が早い時期にカレーライスを給食として取り入れたことから、“日本海軍から一般大衆に広まった” とされる説もありますが、これには何らの根拠もなく、一般大衆と同時並行的に普及していったと考えるのがどうやら正しいようです。
ただ、“レシピ本” としては、1872 年(明治 5 年)に一般向けに発行された【西洋料理指南】&【西洋料理通】(下写真参照)が最も古いとされていて、“陸軍” の幼年学校ではその翌年より早くもカレーライスが提供されていたそうです。
ちなみに、海軍内部のレシピで確認できる最も古いものは、それらよりずっと後の 1908 年(明治 41 年)に発行された【海軍割烹術参考書】とされています。
とはいえコレ、海軍が編み出した “特別な味” といったものではなく、民間に用いられていたレシピとほぼ変わりはないそうな。
なお、かつて海軍の鎮守府が置かれ、現在も海上自衛隊の基地が置かれている神奈川県横須賀市は、“町おこし” として「カレーの街」を宣言し、【海軍割烹術参考書】のレシピを忠実に再現していると認められる店舗にのみ「よこすか海軍カレー」の名称を使用できる、といったお墨付きを与えているそうです。
「海軍カレー」を作ってみよう!
「海軍カレー」のレシピ(作り方)
初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リリ別ニ「フライパン」ニ「ヘット」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロヽノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ンド煮エタルヰ入ル可シ)弱火ニ掛ケ煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之ヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ塩ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス
Wikipedia より
え~…
上のレシピで理解できたあなたは何者 ??
てなわけで、大半の方々につきましては以下サイト or 動画をご参考にされたし。
【ハウス食品(株)公式 HP】
【防衛省 海上自衛隊 公式チャンネル】
〖【週刊海自TV・レシピ動画】元祖海軍カレイライス 〗
「海軍カレー」&「海自カレー」それぞれの 歴史・特徴・違い は?
現在の海上自衛隊では毎週金曜日のランチメニューはカレーライスと決まっていますが、これを旧帝国海軍の伝統がそのまま引き継がれたものだと思い込んでいる人がかなり多いようです。
が、それは大きな間違いで、そもそも旧帝国海軍では金曜日どころか “週一” でカレーライスを食べるような習慣さえもなかったらしく、せいぜい月に数回不定期に出される程度だったとか。
メニューとして採用された背景なり経緯なりも、旧 “海軍” と現 “海自” とではまったく異なっており、また「海自カレー」は各部隊ごとにオリジナルのレシピで運用されていることから、個々によって味も見た目も大きく異なります。
てなわけで、まずは旧「大日本帝国海軍」とカレーライスとの関係から見ていくこととしましょう。
旧〖大日本帝国海軍〗とカレーライスとの関係
みなさんは「脚気(かっけ)」という病気をご存知でしょうか ?
栄養豊富な食べ物が溢れかえっている現代においてはもはや馴染みの薄い病気ですが、栄養が極端に偏っていた一昔前までの日本では「結核」と肩を並べる死亡率の高い病気 として人々から恐れられていました。(下に詳細あり)
「脚気」が日本でいつから発生していたのかは定かではありませんが、「日本書紀」(720 年完成)において似たような病状の記述は残されているようです。
明治時代初期、その流行で多くの死者を出していたことから何とかせねばと立ち上がったのが、旧帝国海軍のお偉い軍医、《高木 兼寛(たかき かねひろ)》氏でした。(上写真参照)
【死に至る病「脚気」とは】
「脚気(かっけ)」はビタミン欠乏症の一つであり、重度で慢性的なビタミン B1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。
心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから “脚気” と呼ばれ、最悪の場合には死に至る。
日本では、白米が流行した江戸・大坂において疾患が流行したため「江戸患い」「大坂腫れ」と呼ばれ、大正時代には結核と並ぶ二大国民病と言われた。
1910 年代にビタミンの不足が原因だと判明して治療や予防が可能となったが、死者が 1,000 人を下回ったのは 1950 年代になってからである。Wikipedia より抜粋(一部加工)
「海軍カレー」の発祥は “脚気” の人体実験から !?
当時ある程度推測されていた “「栄養不足」と「脚気」との因果関係” をさらに確固たるものとするため、旧帝国海軍軍医《高木》氏は、まさに “人体実験” とも言うべき “人間観察” を 1882 年(明治 15 年)~ 1883 年(明治 16 年)、と 1884 年(明治 17 年)の二度に渡って実施しました。
お国のためとはいえ、一度目のものは人道上大いに問題あるもので、当時の日本だからこそ許されたのでしょう。
【脚気観察 その 1】(1882 年 ~ 1883 年)
《高木》氏によってまず行われた観察(人体実験)が、軍艦「龍驤(りゅうじょう)」(上写真)を用いた南アメリカ西海岸方面への遠洋航海でのもの。
1882 年(明治 15 年)12 月に日本を出港し、ウェリントン ⇨ チリ ⇨ ペルー ⇨ ホノルル を巡って 1883 年(明治 16 年)9 月に日本に帰着したとされる約9か月もの航海です。
その内容は、“長期間、クルーにあえて従来型の食事(コメ中心の質素な日本食)しか支給しない” といったもので、その結果、乗組員全 376 名中 169 名が「脚気」を患い、内 25 名が死に至ったというもの。
クルーたちがバタバタとダウンしていく中、士官や船長までもが船底で釜焚きするなどし、やっとの思いで最終寄港地のホノルルに辿り着くことができたんだそうです。
ホノルルで船内の食材をすべて廃棄し、新鮮な肉や野菜などを新たに調達した結果、日本到着までに多くの患者は無事回復することができました。
【脚気観察 その 2】(1884 年)
1884 年(明治 17 年)に行われた二度目の観察(人体実験)は、軍艦「筑波(つくば)」(上画像)を用いた約 9 カ月間のハワイ航海でなされたもので、この時は《高木》氏を中心に考え出された “栄養バランスのいい食事(欧米型の食事)が出港時より欠かさず提供” されました。
その結果、乗組員全 333 名中「脚気」を患った者はわずか 14 名で、死者はゼロ。
しかも患者 14 名のうち 12 名は “自分の意思で肉を口にしなかった者” だったそうなので、実質的な患者はたったの 2 名。
科学的・医学的に原因究明がなされるのは 1900 年代に入ってからのことですが、これら二度に渡る観察(人体実験)の結果から、もはや「脚気」の原因が “食事” にあるのは明白でした。
体を張って真っ先にお国を守るべき兵士が栄養不足で寝込んでいては話になりません。
以降、旧帝国海軍では兵士の給食メニューに栄養豊富な “欧米型” を取り入れることとし、その中の “一メニュー” として “ちょくちょく” カレーライス(「海軍カレー」)が登場することとなったのです。
ちなみに旧「帝国陸軍」では、“科学的根拠なし” として依然兵士に白米をメインとするそれまでの配給を続け、結果、その後も多くの「脚気」による死者を出し続けることとなりました。
海自恒例「金曜カレー」は最近になってから?
“海自恒例金曜カレー”(金曜のランチメニューは必ずカレー)は今や有名ですが、これはある時期以降になってからのことで、もともとは旧帝国海軍同様 “たまに出される” といったレベルだったようです。
『半年間、横須賀教育隊で過ごしたが、隊食にカレーが出たのはほんの数回だったように記憶する。昭和 35 年(1960 年)ごろの海上自衛隊のカレーとはそんなもの』
とは元海上自衛官氏の弁。
よく言われる “長期の航行において曜日感覚を忘れないため” といった理由づけも元関係者たちはこぞって否定しています。
以前の海上自衛隊は日曜・祝日が休みで土曜は半休。
そのため素早く準備ができて素早く後片付けができる「カレーライス」が “土曜日のランチ” に最も適していたことから、まずは各部隊ごとにジワジワと「土曜カレー」が浸透していったんだそうです。
“金曜日” となったのは海上自衛隊に週休二日制が導入され、土曜日だったものが前日に前倒しされただけなんだとか。
現在のように、海上自衛隊すべてにおいて「金曜カレー」が定着したのは 1985 年(昭和 60 年)以降頃になってからなんだそうです。
色々な「海自カレー」を作ってみよう!
「海自カレー」の各部隊オリジナルレシピ(作り方)
さすがに我々の血税で暮らしておいでの方々。
秘伝とも言うべき各部隊ならではのオリジナルレシピを公式サイトにて惜しげもなくド~ンと公開して下さっております。
その数はなんと 54 種類 !
以下サイトをご参考に、各部隊自慢の「海自カレー」を作って食べ比べされてみるなどはいかがでしょうか ?
男の子のお子様なら大喜び間違いなし ? …カモです。
【海上自衛隊公式 HP】
【防衛省 海上自衛隊 公式チャンネル】
〖【海上自衛隊レシピ】No.1 海上自衛隊カレー(しらゆきカレー) 1/3 〗
〖同 2/3〗
〖同 3/3〗
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