【はじめに】
個人的には「買春」などしたこともなければ興味もありませんが、「売春島」といったものがどこかに存在するという噂だけは若い頃耳にしたことがありました。
海外ならともかく、日本ではちょっと現実感の湧かない話です。
当時はインターネットなどまだ普及しておらず、真偽不明のまま「へえ~っ」てな感じで終わりましたが、最近になって都市伝説ではなかったことをある書籍にて知ることとなりました。
てなわけで、ちょいとご紹介させていただこうと思います。
【三重県志摩市/渡鹿野島】 昭和男の桃源郷! 伝説通り本当にあったハートの形の売春島★
「売春島」の場所は三重県志摩市の賢島のほど近く。
的矢湾に浮かぶ周囲 7㎞ のハートの形をした小島で、その名を「渡鹿野島」といいます。
全盛期の 1980 年代頃には、島民 200 人程度の島に 70 ~ 80 人もの売春婦が住み着き、夜のメインストリートは彼女たちとの甘いひと時を求める男達でごった返し、まともに歩けないほどだったとか。
ちなみに島の “ハート型” と “売春” とは何ら因果関係はございません。
渡鹿野島(売春島)の “女性売買” の歴史
渡鹿野島での “売春” の歴史は意外に古く、その発祥は江戸時代だそうです。
江戸と大坂を結ぶ船が「風待ち」のためこの島に長時間停泊することが多かったことから、その船員達を相手に女達が “商売” を始めたのがそもそものきっかけでした。
そういう下地があったとこに、戦後、4 人の女が九州や四国からやってきて置屋(売春斡旋所)を設けたのが「売春島」としての始まりとされています。
渡鹿野島(売春島)の女性売買システム&人気コース
女性売買(売春)のシステムは、建前上はあくまで「自由恋愛」とされ、料金は 60 分の「ショートコース」で 2 万、「朝までのロングコース」で 4 万が相場だったとか。
時間を気にせず好き勝手に過ごせる「朝までコース」が特に人気だったそうです。
手料理で朝食を振る舞ってくれたり、帰る時には港まで同伴して見送ってくれる、なんてことも多かったようで、他にはない “疑似恋愛” が味わえるのも大きな魅力だったようです。
ミイラ取りがミイラに⁉ 売春捜査の警察官が売春屋に転職⁉
しかしながら、時代の変遷とともに稼げなくなった売春婦達は一人また一人と島を去り、「プレイルーム」でもあった彼女達のアパートはそのほとんどが廃墟と化してしまいました。
いつぞや、売春の摘発に乗り込んだ三重県警の捜査官が置屋の女将と “ねんごろ” の仲になって、その後置屋のマスターに転職…
などといった信じがたいような実話も。
売春の衰退は大型ホテル「つたや」の倒産から⁇ 今や “廃墟” でごった返す渡鹿野島
昭和男のトロピカルアイランド渡鹿野島(売春島)も、島の “顔” であった大型ホテル「つたや」が、自称「経営コンサルタント」に騙されて倒産したあたりから一気に廃れていき、訪れる人が激減した今では「廃墟」でごった返しているうら寂しい島へとすっかり変貌。
数年前には数名だけ残っていたという売春婦達も今ではどうなっているやら…
てなわけで、知られざる「売春島」の全盛期や今の実態がぎっしりの 1 冊を下にてご紹介しております。
話のネタにでも是非いかがでしょうか ?
廃墟だらけの動画も必見!
なお、上「つたや事件」を含め、渡鹿野島の栄枯盛衰がさらによくわかるものとして、以下「Newsweek」様の記事もおすすめします。
お読みになりたくばボタンクリックにて。⇩
60 代 の元売春婦を…
昭和の全盛期から今に至る渡鹿野島(売春島)の 歴史・真相・実態 を書籍に見る★
「どこかにあるそうだが詳しくは知らない売春島」
のレベルではおそらく多くの方がご存じでしょう。
暴力団の「シノギ」とも関係してきたことからそのほとんどが公にされてこなかった「売春島」の実態ですが、もはや衰退しきったこともあって、あるひとりの男性記者が徹底的な取材を敢行し、その過去や現在の真相実態を 1 冊の本にまとめあげました。
高木瑞穂(たかぎ みずほ)著の「売春島『最後の桃源郷』渡鹿野島ルポ」がそれです。
“ナンパされた相手に騙されて売られた 17 歳の少女が 500㍍ もの距離を泳いで逃げた”
というショッキングなエピソードから始まるこの本は、発売以来 9 万部を超えるベストセラーとなっています。(2021 年 5 月時点)
「売春島『最後の桃源郷』渡鹿野島ルポ」の ご購入・試し読み に
【参考動画/廃墟散策】 ※ オール字幕入り 音消しでもOK
〖遊郭散走 禁断の○春島「渡鹿野島(旧的矢遊廓)」20年ぶりの 再訪録 三重県 志摩市〗
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