【はじめに】





731 部隊 再現模型
『残酷だと思ったのは、まだ息のあるうちに解剖が始められることです』
とは、戦時中、日本陸軍第【731 部隊】の細菌製造班に所属していたという Y・T 氏の某報道番組での言。
死後になされる通常の解剖とはまったく次元のちがう、つまりは「生体解剖」ってやつです。
もちろん猫やネズミではなく “人間” での話。
元部隊員の方々の証言や、数々の 書籍・報道番組 等の追跡調査 などで、ある程度は 人体実験・生体解剖 等の恐るべき実態が明らかとなってきた【731 部隊】ですが、依然ベールに包まれた部分も多く、若い方などでは未だその名前すらご存じない方も多いのではないでしょうか。
私たちと同じ日本人が、しかも命を守るべき立場の東大や京大のエリート医学者たちが、同じ人間に対して行ったとされる悪魔の所業は、知れば知るほどに目をそらしたくなるかもしれません。
が、これは紛れもなく旧日本軍のもとで行われた歴史上の事実であり、また、今ある健康体と最高水準の医学の多くがこの残酷な過去あってのものである以上、その真実を知り、犠牲になられた方やそのご遺族の方々に対して最大限の深謝の念を持つべきは、現代に生きる我々日本人の責務であるとも思えます。
後世に伝えゆくことも然り。
【元 731 部隊関係者】

戦後数十年、長きに渡って秘密を守り抜いてきた元 731 部隊員の方やその関係者の方々もみな晩年を迎え、それぞれに持つあらゆる思いから、一人また一人と、自身の 見たもの、聞いたこと、やったこと、等当時の記憶を語る人が出始めました。
病床で、死の四か月前に初めて重い口を開かれた方も中にはいらっしゃいます。
『ペスト菌の実験では色白の人も最後は真っ黒になった』
『凍傷の実験で指の部分が骨だけになっていた』
『脱走しかけた者数十人を車で追いかけ次から次に轢き殺した』… etc
彼らの口から聞かされるこうした話は、そのほとんどが耳を疑う信じがたいものばかりです。
また、近年に入り、旧ソ連(ロシア)やアメリカなどで情報公開が進められた結果、終戦直後の裁判記録(元 731 部隊員の自筆供述書や肉声テープ)や医学者らの記した約 400 体分もの人体実験レポート(下画像参照)なども発見され、彼らの話の多くはこれらによっても裏付けられることに。
【鼻からの炭疽菌感染実験 / 34 歳男性 / 感染3日後に解剖】




発見された人体実験レポートの一部
果たして旧【731 部隊】とは、どういった組織で、どのようなことが行われ、最後にはどうなったのでしょうか。
また、残虐行為に手を染めた医師や元部隊員たちは戦後どうなったのでしょうか。
てなわけで今回は、京大医学部卒のエリート、旧帝国陸軍軍医中将(最終階級)《石井 四郎(いしい しろう)》が「細菌兵器」の開発のため、満州国の人目のつかぬ地に創設し、数多くの非人道的な人体実験や生体解剖を行ったとされる謎多き秘密部隊、【満州国 第 731 部隊(関東軍防疫給水部)】の恐るべき事実の数々を、写真・画像・動画 も満載で詳しくご説明。
【技師(731 部隊への派遣医師)のポジションと出身大学の内訳】


【主な技師の所属&研究項目】※ 一部不明


なお、SNS 等で、
『【731 部隊】のすべては戦後に中国やソ連がでっち上げた捏造だ!』
と息巻いておられる方々も中にはいらっしゃるようですが、残された記録や証言の数々からまずありえません。


「アウシュビッツ収容所」等、旧ナチスドイツの絶滅収容所でも残酷な人体実験が行われていたことから同様のイメージを持たれがちな旧【731 部隊】ですが、前者は “大量殺戮” そのものが主目的であったのに対し、後者はあくまで “細菌兵器を開発する” のが主目的であったという点、大きな違いがあります。
ちなみに、平成 15 年の小泉内閣&平成 24 年の野田内閣は、国会において某衆議院議員により旧【731 部隊】に関する各種質問を受けましたが、両者共々以下の答弁(各ボタン押下)で逃げています。
また、2025 年の最新、[共産党議員 vs 石破政権]の参院予算委員会での論争動画もその下に貼り付けておきました。
果たして現政府のスタンスやいかに…
てことで、政治方面に興味のある方はこれらもぜひご覧あれ。
(※ 厚生労働省によって、“終戦直前の【731 部隊】の全人員数とその内訳” については平成 15 年に明らかにされています。⦅下画像参照⦆)


【国会参考動画 / 2025,3,21】
[共産党議員 vs 石破政権]
〖731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及〗
- 【731 部隊 徹底解説 基本編】 (前編)
- 【731 部隊 徹底解説 詳細編】(後編)
- 731 部隊 有名書籍 / 森村 誠一 著【悪魔の飽食】3部作
- 【731 部隊 その他オススメ書籍】
- 【オススメ映画】「帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚」
- オススメ記事
【731 部隊 徹底解説 基本編】 (前編)


【731 部隊】の基本の基本
【正面玄関 /1号棟】

【1号棟 1F・2F 見取図】





概要
通称【731 部隊】とは、その前身(関東軍防疫班⦅通称:東郷部隊⦆→ 関東軍防疫部⦅通称:加茂部隊⦆)も含めて言えば、1930 年代前半(満州事変以降)~ 1940 年代半ば(太平洋戦争終結直前)にかけて満州国(中国の一部を日本が奪って=〖満州事変〗で陸軍の関東軍が支配した一時的国家)に設置されていた、軍医及び 東大・京大 等のエリート医学者らを中心とする旧帝国陸軍の秘密組織で、主に細菌兵器(ペスト・チフス・コレラ 等)の 研究・開発・実用化 を目的に、残酷な 人体実験・生体解剖 を行っていたとされる悪名高き闇の部隊です。

【731 部隊】の本部が設置された場所は、旧ロシアが開拓し、中国一美しいとも言われる活気に満ちた街「ハルビン」 … の南約 20 km にあるひっそりとした人目のつかぬ地「平房(へいほう)」。
(※ 本部地を「ハルビン」と記している 史料・書籍 も多し)
そこでは一応 “細菌” に関する研究や人体実験がメインとされましたが、その他の “生きた人間” を使わねばできぬ様々な実験(凍傷実験・毒ガス実験・耐圧実験… etc)やそれに伴う生体解剖も多数行われました。

単なるカモフラージュのための架空名です。
なぜ “東郷” や “加茂” なる名称を使ったのかという理由もあるにはありますが、大した話でもないので本記事では割愛します。
【731 部隊】の “表” の顔と “裏” の顔


【731 部隊】といった “通称” が定められたのは太平洋戦争開戦と同じ 1941 年で、その “正式名称” は、残虐性など微塵も感じさせぬ【関東軍防疫給水部(かんとうぐんぼうえききゅうすいぶ)】。
その前身もあわせ、これらはその名の通り、表向きには戦地における “疫病の予防” や “飲料水の確保・提供” を目的に設置したとされる非戦闘部隊で、つまりは健全そうな部隊名と活動を隠れ蓑にしつつ、その裏では[防疫班(東郷部隊)→ 防疫部(加茂部隊)→ 防疫給水部(731 部隊)]へとステップアップさせながら、 人員・予算・人体実験の規模 等を大きく膨らませていったってわけです。
潤沢な予算と快適な生活
1940 年(太平洋戦争開戦の前年)以降は満州国内の5か所に支部(下画像参照)をも設け、最大人員約 3000 人、&年間予算も現在の金額で約 300 億円。
(※ 約 90 億円と伝えている報道番組もあり)
冷暖房の他、プール・テニスコート・スケート場 なども備わったそこでの生活は、当時としては天国さながらに快適だったらしく、零下数十度にもなる真冬でも裸でビールが飲めたと言います。(元建設班部隊員の談)

【731 部隊】の各支部&第 100 部隊(満州国内)

軍馬専門部隊でも人体実験を⁉ 姉妹機関「満州国第 100 部隊」とは★

[参考資料]


のちソ連側に捕まった者の中にはこの部隊に属してた者(K・M 氏)もいて、裁判での証言や晩年の報道番組での談などが残されています。
【731 部隊】の各兄弟部隊(満州国外)


それぞれの詳しくは、以下(Wikipedia 英語版)にて。
〖北京 1855 部隊〗〖南京 1644 部隊〗〖広東 8604 部隊〗〖シンガポール 9420 部隊〗
【⇧ の〖南京 1644 部隊 / Wikipedia〗より一部抜粋】
(※ 日本語翻訳にて)
・囚人たちに生きた細菌を注射した後、細菌が血液中に広がるのを待ってから、彼らの血液をすべて抜き取りました。
・囚人は約6か月の監禁の後、「治療室」に連れて行かれ、クロロホルムで眠らされ、動脈を切開される。十分な量の血液が体から抜かれると、体は痙攣して震え始める。汚染された血液はその後、食品に感染させたり、生物兵器として使用されるハエに与えられたりした。
人体実験・生体解剖 に至るまでの流れ(逮捕 → 移送 → 人体実験・生体解剖)


[参考資料]

裁判不要! 現場判断で死刑 =[特移扱]に
その “天国” たる【731 部隊】の中心施設、「ロ(ろ)号棟」のど真ん中に監禁され、地獄がごとき 人体実験・生体解剖 に用いられたのは、主に反日分子やスパイ容疑などで〖憲兵〗や〖特務機関〗に逮捕された 中国人・.朝鮮人・ロシア人 といった人たち。
逮捕された人々の一部(逆スパイとして利用できない者や一切口を割らない者 等)は、満州国のみに適用された特殊な法律のもと、裁判を経ずして憲兵隊指揮官等の判断のみで “死刑” とされ、その多くは書類に[特移扱(とくいあつかい)]と記載されたのち、生きては出られぬ【731 部隊】へと秘密裏に移送されたのでした。



憲兵隊員とマンツーマン! 厳重なる監視の元【731 部隊】へ

当時4人同時に移送したことがあるという元憲兵隊員曰く、“特移扱” なる用語は【731 部隊】に移送される死刑囚=人体実験対象者のみに用いられた専門の隠語だったそうで、逮捕された4人は数日間独房で監禁されたのち、厳重な監視のもと憲兵隊員とマンツーマンで列車に乗せられ、ハルビン駅で待機していた【731 部隊】専属の憲兵隊に引き渡されるや否や、まるで家畜でも扱うがごとく護送車に蹴り込まれたそうです。(元大連憲兵隊准尉 Y・M 氏の言)
多く移送すればするほど憲兵隊員たちの出世も早かったらしく、おそらくは拷問による冤罪も多かったに違いありません。

その車は真っ黒なうえ、運転席以外は窓一つないかなりグロテスクな外観だったらしく、機密保持のためナンバープレートも定期的に変えられていたとか。
こうした護送車でハルビン駅まで迎えに行くパターンと、敷地引き込み線より列車から直接受け取るパターンの2通りがあったとのこと。
証言と各種記録等との照らし合わせから、年 500 ~ 600 人もの死刑囚が移送されたのはほぼ確実とされています。

脱出不可能な特設監獄! あとは 人体実験・生体解剖 で死を待つのみ

[特移扱]とされた時点で、もはや彼らは “丸太” のごとき実験材料でしかなく、以後は「マルタ」と呼ばれ、さらには “1本2本…” と数えられ、軍医や医学者たちの思うがまま人体実験に用いられたあげく、最後は体内各部位のデータを取るため生きながらにして全身が切り刻まれたのでした。
例えば、ある細菌について、感染1日後から 10 日後までの “各種 臓器・器官 の日別損傷データ” を得たい場合には、一度に 10 人が感染させられ、翌日より1日おきに10 人全員が解剖されて殺されたんだそうです。
解剖中に麻酔から覚めて泣き叫ぶような場面も時にはあったとか…
使い放題の「マルタ」を前に、解剖した “本数” を嬉々たる様子で自慢したり、本来の趣旨から外れた個人的興味だけの残酷な実験を繰り返していた軍医や医学者も中にはいたと言います。
人体実験・生体解剖 は年齢性別関係なし⁉


捕らえた母親とセットにしてその子供も移送し、ある実験で母親を殺した後に他の実験でその子も殺す、なんてのも常態化していたようです。
同じ年頃の子を持つ部隊員も多くいたはずで、我が子の顔が一瞬でも思い浮かばなかったのかと思うと悔やまれてなりません。
解剖後の 臓器・器官 等はホルマリン漬けで標本室に

実験後に即解剖されるか、あるいは一定期間の経過観察ののち解剖されるかは、実験内容により様々。
解剖後の 手・足・首 や 各種臓器・器官 は必要に応じてホルマリン漬けにされ、標本室(展示室)にて保管されたとのこと。



のこぎりで2つに縦割りされた頭部もあったとか。
また、ある別の部屋では 150 本近いガソリン缶が積まれていたという証言もあり、中には人の頭部が入っていたとも。
十代半ば頃の少年兵も数多くいたようですが、彼らがこうした部屋に一人で入室するのはかなりの勇気が必要だったのではないでしょうか。
[参考資料]



【参考動画 / 元 731 部隊少年兵 / TBS NEWS DIG】
〖「標本室は目の開けられないくらい・・・」731部隊の実態、元少年兵の目に焼きついた光景【報道特集】〗
証拠隠滅で「マルタ」約 400 人を全員殺害⁉ 【731 部隊】の最後と部隊員のその後



破壊後の 731 部隊施設
太平洋戦争末期、ソ連が参戦し、満州国の崩壊や日本の敗戦が目前に迫ったことから、軍中枢部より【731 部隊】の全ての証拠を抹消するよう命令が下されました。
建物や実験器具や書類だけでなく、“人間” をもです。
人体実験&生体解剖+敗戦直前の証拠隠滅(口封じ)で殺害された「マルタ」は 3000 人以上とも言われていますが、被害者のほとんどは未だ名前すら判明しておらず、その実数も定かではありません。
(最後の “口封じ” では約 400 名が毒ガスにて殺される)


【参考記事 / Wikipedia】

《朝枝 繁春》(上写真)は、大本営参謀として満州へ出張中に敗戦を迎えた。この時、朝枝参謀は【731 部隊】の部隊長《石井 四郎》に研究資料の廃棄を指示している。共同通信社社会部編『沈黙のファイル』(P137,138)には、その時の朝枝・石井のやりとりが載っている。⇩
朝枝:「私、朝枝中佐は参謀総長に代わって指示いたします。貴 731 部隊の今後の措置について申し上げます。地球上から永遠に、貴部隊の一切の証拠を根こそぎ隠滅してください。」朝枝:「細菌学の博士は何人ですか」
石井:「五十三人」
朝枝:「五十三人は貴部隊の飛行機で日本に逃がし、一般部隊員は列車で引き揚げさせてください」
石井:「分かった。すぐ取りかかるから安心してくれたまえ」
(石井は自分の飛行機へ数歩歩いて立ち止まり、思い直したように引き返してきた)
石井:「ところで朝枝君、貴重な研究成果の学術資料もすべて隠滅するのかね」
朝枝:「何をおっしゃいますか、閣下。根こそぎ焼き捨ててください」
かくして各施設の爆破や「マルタ」全員の殺害等、証拠となるものは念入りに隠滅され、また、ほとんどの 731 メンバーが専用機や特別列車等にて一早く帰国し、日本各地さまざまな場所に散らばって身を隠したことから、本来なら闇に消えてもおかしくはなかった【731 部隊】。
が、逃げ遅れ、ソ連側に捕らえられた一部の関東軍幹部や【731 部隊】の関係者らの証言から、その残虐行為の数々が明るみに出ることとなりました。
いわゆる〖ハバロフスク裁判(別名:幻の軍事裁判)〗ってやつです。(下写真)

彼らは当然この裁判によってソ連側に裁かれましたが、完全公開の裁判で 人体実験・生体解剖・細菌攻撃 の事実(非人道的行為&国際法違反)が公になったにもかかわらず、日本で戦犯裁判を仕切っていた米〖GHQ〗は、日本各地に潜伏している元 731 部隊員らを新たに 調査・逮捕・訴追 するなどはせず、これを一切黙殺。
(東京裁判自体もこの時すでに終了していた)

それどころか、《石井 四郎》を経由して、
『元 731 部隊員のおそらく全員に、どこぞより多額の退職金まで支払われた』
と元 731 部隊中尉の M・M 氏は語っています。
(出所はアメリカか⁇、とも)
果たしてそれは一体どういうことなのか…
てことで、その辺りの真相たるは、後編=「731 部隊 徹底解説 詳細編」にて。
石井部隊長が帰国する部隊員に課した3か条
❶ 部隊員どうしの連絡や接触の禁止
❷ 部隊の存在や行ったことを他言しない
❸ 公職に就くことを禁止
…が、『過去の過ちを後世に伝えるべき』と、晩年になってから自身のしたことや見たものを語り出す者がチラホラと現れ出したのは前述の通り。

《マッカーサー》はすでに知っていた⁉


戦後、米 GHQ の《マッカーサー》元帥が初めて厚木飛行場に降り立った際、その第一声が
『ジェネラル “イシイ” はどこにいる?』
だったそうですが、以降、日本に逃げ帰った《石井 四郎》以下元【731 部隊】の全員が戦犯訴追を免れ、さらには元幹部らがのち医学界や薬学界で重要ポストにのし上がっていくというその舞台裏では、保身のための黒い取引や、人体実験データを巡る米ソの目に見えぬ熾烈な争いが人知れず繰り広げられていたのでした。(詳細後述)
ちなみに、米ソ双方とも、諜報員の調査報告や捕虜となった日本軍軍医等の供述から、【731 部隊】の存在や実態について “ある程度” までは事前に掴んでいたそうです。
【731 部隊 基本編 参考動画 / NHK スペシャル】 ※ 中国語字幕付き
〖731 部隊の真実 エリート医学者と人体実験〗
【731 部隊 徹底解説 詳細編】(後編)



【731 部隊】ではどのような方法でどのような人体実験がなされた?
医学者の個人的興味でなされたものなども含めると、一体どれだけの人体実験が行われたのかはもはや知る由もありませんが、有名どころなものを挙げるとすれば、「各種細菌感染実験」・「凍傷実験」・「各種毒ガス実験」の3点ではないでしょうか。
実験の種類や方法によっては “死” に至らなかったり、また生体解剖がなされなかったり、といった場合もあったようですが、ある実験で生きながらえたとしても回復後は再び他の実験に供されるため、遅かれ早かれ彼らに近い将来 “死” が訪れるのは確実でした。
細菌感染実験

屋外の広い場所が必要で、なおかつ多人数同時に行いたい人体実験に用いられたのが、【731 部隊】の本部(「平房」)から北西へ約 200 km の場所、「安達(アンダー)」なる地の殺伐とした荒野に設けられた極秘の実験場。
ここでは「マルタ」複数人を円型に配置された杭(くい)にそれぞれ縛りつけ、様々な実験(爆弾の殺傷能力テストや各種細菌の感染実験 等)が様々な方法で行われました。
が、やはりメインとされたのは細菌系の爆弾実験だったようです。

【731 部隊】では、コレラ菌・チフス菌・ボツリヌス菌・炭疽菌 など 20 種類以上もの病原体が研究されていたそうですが、中でも実戦での実用化に向け最も力を注いでいたのが「ペスト菌」の爆弾実験。
これは、「ペスト菌」(あるいは「ペスト菌」に感染させたノミ)の入った特殊な爆弾を地上なり上空なりで爆発させ、「マルタ」が感染するかどうか、や、感染レベルはどの程度なのか、などを調べるためになされた実験で、当然感染した「マルタ」たちは、その後 “死” に至るまでの様子を 観察・記録 されたり、また体内各部位の損傷具合を調べるため解剖されるなどがなされました。

至近距離で爆弾を破裂させる場合などには、爆弾そのものの破片で “死” に至らぬよう、頭部を守るヘルメットと胴体を守る鉄板が「マルタ」には装着されたそうです。(上画像参照)
「安達」の実験場跡地には「マルタ」たちを縛りつけた杭が今でも生々しく残っています。
「マルタ」40人を轢き殺し⁉
ここ「安達」で、実験開始の直前に「マルタ」の1人が自身の縄をほどき、さらには仲間の「マルタ」たちの縄をもほどいて 40 人全員が散り散りバラバラになって逃げようとした出来事があったそうですが、周囲には身を隠せるような場所もなく、結果、車で追い回され、全員が轢き殺されてしまったそうです。
(元 731 部隊運転班 S・K 氏の談)

「ペスト」ってどんな病気?(参考:厚生労働省 検疫所 HP)



【731 部隊】は各種細菌の研究を重ねながら、最終的にはこの「ペスト菌」に最も期待をかけるようになったわけですが、ただ上空から直接に散布しても菌そのものが死滅したりで効果はなく、そのため、まずネズミに「ペスト菌」を植え付け、そのネズミにノミをたからせることによって「ペストノミ(PX)」を作り出し、それを何らかの形でばら撒く、といった独自の方法が考え出されました。
そして、それを実用化するための人体実験や生体解剖も同時に行われるようになり、それらがある程度進むと、その効果を実証するため中国各地で実際に「ペストノミ(PX)」をばら撒いたりもしました。
「崇山村(すうざんそん)」など、場所によっては現地での生体解剖も部隊より派遣された医師たちによってなされたようです。(後述)
[参考資料]

凍傷実験

“細菌” に次いで重要視されたという「凍傷実験」。
なぜかと言えば、それまでの寒地における戦闘で日本軍兵士たちを最も悩ませていたのが “凍傷”(下写真) で、その対策や治療法の 発見・確立 が急務だったからです。

そのため【731 部隊】では、京大医学者《吉村 寿人》を筆頭とし、その研究のため「マルタ」を様々な条件下(数日間眠らせなかったり絶食させたり etc)において強制的に凍傷にかからせ、その後の観察やデータを取るといった人体実験が繰り返し行われました。

ちなみにその一昔前、日本国内(八甲田山)における陸軍の寒地訓練中に起きた遭難事件=「八甲田山雪中行軍遭難事件」で、生存者のほとんどが凍傷により両手足切断となったのは有名な話。(⇩)
「ハバロフスク裁判」での元 731 部隊員たちの証言



一生涯 “残虐行為” を否定し続けた《吉村 寿人》

【参考記事 / Wikipedia】
満洲では、民族による耐寒性の違いを調べるため、塩水に手を入れさせ水温を零下20度まで下げるなどして、異なる民族の人の手足に凍傷を発生させる実験を行ったと思われる。
吉村班の行った実験について、指の肉が削げ落ちるほどの凄惨な実験が行われた、などとする証言があるが、吉村は否定した。吉村は、自分個人が行った凍傷実験は相手の「協力」に基くもので、凍傷に至らない零度での実験だった、などと説明した。また、一連の研究は軍属としての任務とは別に自主的な仕事として「部隊長の許し」を得て行ったという。
吉村は 731 部隊が細菌戦の研究をしていたことを認めたが、吉村個人は専門外のため細菌戦研究には従事しなかったと述べた。
毒ガス実験

【731 部隊】の飛行場敷地内のはずれにあったとされる「ガス発生室」(上写真)では、主に日本国内(広島県大久野島《おおくのじま》)で製造された「毒ガス」を使っての人体実験が行われました。(⇩参考記事⇩)
“いかに少量のガスで大量に殺せるか” を探求するのがこの実験の主な目的だったそうで、様々な種類の毒ガス(青酸ガス・一酸化ガス・ホスゲンガス・マスタードガス・ルイサイト… etc)を用い、濃度を少しずつ上げながら被験者が “死” に至るまでの様子を観察し、経過時間とともに細かく 記録・撮影 がなされたそうです。
そこは 10 畳程度の広さの部屋が1室あるのみで、その一角に、天井部分にガスを送り込む管のついた三面ガラス張りの小さなガス室が設けられていたとのこと。(下画像)


731 部隊による 毒ガス実験の再現模型
・一酸化ガスでは全員口から泡を吹く。
・複数名の「マルタ」とあわせ、各種動物もガス室に入れられた。
・人間の呼吸器はハトと同じレベルなので、ハトが生きれる場所では人間も生きれる。
【余談】大久野島のウサギ

可愛いウサギがいっぱいで、今や家族連れやカップルに大人気の瀬戸内海「大久野島」ですが、戦時中 “毒ガス実験” で使われていたウサギは戦後全て殺処分されたため、その子孫は今現在1羽もいないとのこと。
現在生息しているウサギは、1971 年に地元のある小学校で飼われていた8羽が放されて野生化し、繁殖したという説が最有力なんだそうです。
【大久野島 参考動画 / ジョーブログ】
〖【秘密兵器製造島】日本地図から消されて国家機密で隠された島に行ってみた「大久野島の真実」〗

その他の知られた人体実験



【731 部隊】の 誕生・巨大化 の背景 等

細菌研究の発端は「ジュネーブ議定書」⁉
部隊長《石井 四郎》は、なぜ “細菌兵器” に興味を抱き、なぜ【731 部隊】を中心とする悪魔の組織を作り上げたのか…
また、命を最も尊ぶべき優秀な医学者たちが、なぜ “人体実験” や “生体解剖” などという悪魔の所業に手を染めてしまったのか…
《石井 四郎》が “細菌兵器” に目を付けたそもそものきっかけは、1925 年に制定された「ジュネーブ議定書」にあると言われています。

「ジュネーブ議定書」とは、第一次世界大戦での “毒ガス攻撃” による悲惨な結果などを主な理由として、
〚生物化学兵器の使用を禁ず〛
とした国際法ですが、彼はこれに対し、
『国際法で禁ずるってことは、それだけ殺傷効果が高いってことではないのか? だったら使わない手はない』
と逆転的な発想に及びました。
約2年間の欧米視察で痛感した “日本と列強諸国との圧倒的な国力差” もその背景にはあったとされています。
ちょいと紛らわしい国際法「ジュネーブ議定書」

〖ジュネーブ議定書〗なる国際法は、その文言からも分かるように、あくまで「生物兵器(細菌兵器)」&「化学兵器(毒ガス)」の “使用” を禁じたもので、ゆえに、研究・開発・製造・備蓄 に関しては何らのペナルティもなく、各国ともそれらに関しては堂々と行っていましたし、今現在でも行われています。
何より、毒ガスを使われるなどした際、その種類を特定させるため(適切な防毒対策や事後処置を行うため)には同じ種類の毒ガスをサンプルとして持っておかなければならず、あらゆる種類の毒ガスを一定量備蓄しておくことは、逆に言えばどの国にしても必要不可欠なことでもあるのです。
「地下鉄サリン事件」で、それが “サリン” だとすぐに判明し、被害者に対して一早く適切な処置が行えたのは、陸上自衛隊にサリンのサンプルとデータがあったがゆえ。
が、【731 部隊】は禁止されていた “使用” を目的に細菌兵器を研究開発し、さらには中国のいくつかの地域へ実際にばら撒く(後述)などもしたのでした。
安上がりで証拠残らぬ「細菌兵器」

《石井 四郎》は、やがて起こりうるソ連との戦争に勝つためには、安上がりで殺傷力が高く、かつ証拠も残らぬ “細菌兵器” を積極的に研究開発すべき、と軍中枢部に説いて回りました。
その当時は日本も含め、世界的に軍備縮小に走っていた時期でもあり、“金のかからぬ” 彼の案に軍も大いに賛同。
情報操作等によって、中国人・朝鮮人・ソ連人 等の、いわゆる「匪賊(ひぞく)」(日本の支配に抵抗する抗日組織で、当時残虐卑劣な集団とされていた)に対してなら何をしても構わない、という日本国民ほぼ全員に植え付けられていた彼らへの強い偏見や憎しみも、軍部や医学者たちの背中を大きく後押ししました。

かくして《石井 四郎》は、軍首脳部や医学界の全面的バックアップのもと、自身の意にままに動かせる細菌部隊を誕生させ、巨大化させ、ひいては非人道的な人体実験や生体解剖すらをもグイグイ推し進めることが可能となったのです。
【731 部隊】&「特設監獄」の誕生は脱走事件がきっかけ⁉

【731 部隊】の「ロ号棟」特設監獄は、もはや生きて出るのは不可能で、実際【731 部隊】に移送された「マルタ」の “全員” が何らかの形で命を失ったのは前述の通り。
が、それ以前についてはと言えば、一番最初の “関東軍防疫班(東郷部隊)” の時代に一度だけ脱走事件なるものがありました。
と言うより、この事件があったがゆえに【731 部隊】なる巨大な組織と堅固な特設監獄がつくられてしまった、と言った方が正しいのかもしれません。
で、その事件の発生場所はといえば、のちの【731 部隊】の本拠地「平房」、のやや南東方面にある閑散とした町「背陰河(はいいんが)」。
満州国初の人体実験施設「背陰河細菌工場」(東郷部隊)&中国人捕虜脱走事件



[参考資料]



日本陸軍は、満州国第一号の細菌戦研究施設として《石井 四郎》を長とする極秘部隊(関東軍防疫班=東郷部隊)をここ「背陰河」に設置し、満州における捕虜を使った 人体実験・生体解剖 もここよりスタートされたわけですが、何とある日、周囲の土塀にハシゴを立てかけて中国人捕虜十数名がここから脱走。
彼らは駆け込んだ近くの村で “足かせ” を切ってもらい、そのまま逃げ延びることができたようですが、当然彼らの口から日本軍による人体実験の秘密は露見し、《石井 四郎》以下東郷部隊の全員は撤収&解散せざるを得なくなりました。

で、この事件を教訓とした《石井 四郎》と軍首脳部が、
『脱走など絶対に不可能な完璧な施設をどこか別の地に造ろう!』
として最終的に「平房」に誕生させたのが「関東軍防疫給水部」=通称【731 部隊】ってワケです。



731 部隊 ロ号棟特設監獄 CG 画像
“無人地帯” に指定された近隣3つの村についてもそれは同様。(4村計 546 戸)
なお、【731 部隊】の建設に従事した中国人労働者は、機密保持を理由に最後には全員殺されたとも言われています。
中国各地で実際にばら撒かれた各種細菌

【731 部隊】では各種細菌兵器の研究・開発にあたって、「マルタ」への人体実験のみならず、よりリアルなデータを得るため実際に中国の町や村へ散布するなどもしました。
ようするに、“どの菌” を “どの程度の量” 使って “どの方法” でばら撒くのが最も効果的か、というのを一般民の体でも人体実験したってことです。
方法は様々だったようですが、例えば、
❶ 饅頭などの食べ物にさまざまな細菌を混入して与える
❷ 井戸など村人が飲用に使用している水源地にさまざまな細菌をばら撒く
❸ 航空機でさまざまな細菌をばら撒く
❹ 犬に「ペスト菌」入りの肉を食わせて放つ
❺ 「ペスト菌」に感染させたノミを “直接” 航空機でばら撒く
❻ 「ペスト菌」に感染させたノミを “穀物類と一緒に” 航空機でばら撒く
などなど。
現地でも解剖した【731 部隊】の医師たち

上の ❶ ~ ❻ の中でも、実戦を想定して最も多くなされたのが ❺・❻ だったようで、「ペスト菌」をばら撒かれた村々では2~3日後より次から次へと家の前に死体が出され、村中のいたるところが泣き声と悲しみに包まれたと言います。
そして、細菌をばら撒いた後にはその効果を実地検証するため医学者らが部隊より派遣されましたが、なんとそこでも医学者らは “即地解剖” と称して死んだ村人たちの体を切り開きました。
【“即地解剖” 中の 731 部隊医師たち】




さらに恐ろしいことに、人口 1000 人中 400 人近い犠牲者を出したという義烏(ぎう)市の「崇山村(すうざんそん)」なる村では、感染した村人たちの何人かは『治療する』として村はずれの寺院(林山寺=下写真)に連れていかれ、縛られて頭に袋をかぶせられたあげく、生きたままで体を開かれたとか。


【参考動画】 中国各地への細菌ばら撒きがよく分かる★


下動画〖細菌戦部隊 731〗より
上「林山寺」の件など、【731 部隊】に関する各種動画の中で “中国各地への細菌ばら撒き” を取り上げているものとしては、現地取材(上画像参照)なども多くなされている当動画が最も分かりやすいかと思われますので、以下に貼り付けておきました。
画質は最悪ですが、ご参考まで。
〖細菌戦部隊 731〗
運命は天地の差! 731 部隊員たちは戦後どうなった?


前述の通り、ソ連参戦直後(日本の敗戦直前)、大至急 “証拠隠滅” に取り掛かった 731 部隊員たちでしたが、その後の彼らの運命は、“さっさと日本に逃げ帰ることができた” か、あるいは “ソ連軍に捕まった” か、で大きく分かれることとなります。
他の日本兵らがソ連軍を迎え撃つため続々と北上する中、医学者らを含む主だった【731 部隊】の面々は、その多くが準備された特別列車(33 両編成だったらしい)で一路南下し、釜山(プサン)港より船で日本へと帰国することができました。(一部は専用機にて)

が、逃げ遅れ、その後ソ連軍に捕らえられた者たちもそれなりに(支部も含めると数百名らしい)いたらしく、その中には人体実験や生体解剖を主導していた幹部らも一部含まれていました。
また、【731 部隊】の母体たる関東軍の最後の総司令官《山田 乙三(やまだ おとぞう)》大将も、日本敗戦とともにソ連軍に降伏し、同じく捕らえられました。

これら [すぐさま日本に帰国できた組]と[ソ連軍に捕らえられた組]とのその後の運命はまさに天地の差で、またこの両者の存在が、のち米ソが水面下で熾烈な駆け引きを繰り広げることになる、そのきっかけともなったのです。
彼ら&米ソの “その後” については以下のごとし。


イメージ
日本で安泰! すぐさま日本に帰国できた元 731 部隊員たち

前述で軽く触れた、ソ連「ハバロフスク裁判」が開廷される約2年前の 1947 年(東京裁判継続中)、《柄沢 十三夫(からさわ とみお)》元軍医少佐など、捕虜として収容していた元 731 部隊員らの供述などから 人体実験&生体解剖 の確信を得たソ連は、「ニュルンベルク裁判」(ナチスドイツの戦犯裁判)で陣頭指揮をとった辣腕検事《スミルノフ》(下写真)を東京の検事団に加え、元軍医少佐らの供述調書を示した上で《石井 四郎》ら元 731 幹部3名の尋問を米側に要求しました。

米側も【731 部隊】が細菌の研究や細菌爆弾を開発したことなど、“あるレベルのことまで” はこの時点ですでに把握していました(アメリカ側諜報員と元 731 幹部らとの接触は早くから水面下で行われており、“細菌研究や細菌兵器についての情報提供” と “元 731 部隊員らの免責” を交換条件とする約束はこの時点ですでに取り交わされていた)が、最もアメリカ側が知りたかった 人体実験& “人体を使った” 生体解剖 に関しては依然確かな供述を得られていなかった(《石井 四郎》ら元 731 幹部らは “動物実験” だったことにするよう皆で口裏を合わせていた)ためソ連の尋問要求に大きく焦ります。
人体実験や生体解剖のデータは、ソ連にだけは絶対に知られたくない貴重なものでしたが、供述書を突き付けられた以上要求を無視するわけにはいきません。
(※ “生きた人間” を用いた細菌関係のデータは簡単に収集できるものではなく、これを独占することができれば医療面でも軍事面でも他国を大きくリードすることができた)


そこでアメリカ側は一計を案じ、生物化学方面の専門家《ノバート・H・フェル》博士、次いで後任の《エドウィン・V・ヒル》博士を日本に派遣し、《石井 四郎》らに 人体実験・生体解剖 の事実を認めさせるのと併せ、ソ連を欺くための秘密のシナリオを策定しました。
で、その際彼らアメリカ側と《石井 四郎》らとのパイプ役となって暗躍したとされる(《石井 四郎》の娘の言)のがこの男。⇩

とりあえずそこに至るまでの流れを簡単に記せば…
《アメリカ側》『ソ連側に捕まったアナタたちの仲間が “人体実験” のことを全て白状したそうだ。そしてアナタたちの尋問をも要求してきた。これでもまだ “動物実験” だったなどと言い張るつもりか? 我々がソ連側からもきっちり守ってあげるからいいかげん真実を述べて下さい』
《石井 四郎 ら》『おっしゃる通り “人体実験” も “人体を使った生体解剖” もしておりました。持ち帰ったデータはアナタたちだけにしか渡しませんからどうか私らを守って下さい』
《アメリカ側》『よろしい、約束しましょう。ではソ連側をうまくごまかすため、今後はこちらのシナリオに従って動いて下さい』
《石井 四郎 ら》『へへぇぇーーーっっ‼』
…てな感じ。
そしてソ連側検事の尋問に先立ち、アメリカ側が《石井 四郎》らに指示した内容は以下3点。
❶ [人体実験の事実を認めてはならない]
❷ [中国各地への細菌攻撃の事実を認めてはならない]
❸ [アメリカとの事前接触の事実を明かしてはならない]
かくして3名は、最後まで “知らぬ存ぜぬ” を貫き通し、供述書以外に決め手となるような証拠を一切提示することができなかった《スミルノフ》以下ソ連検事団は、彼らを法廷に引きずり出すことをあきらめざるを得ませんでした。
(※「東京裁判」はアメリカが仕切っていたため、誰が見ても否定できないだけの完璧な証拠が必要であった)

強制労働 25 年! ソ連に捕らえられた元 731 関係者と幻の「ハバロフスク裁判」

アメリカ主導による不本意な「東京裁判」の結果に腹の虫の治まらぬソ連は、“731 部隊の存在と罪” & “いい加減なアメリカの裁判” を全世界にアピールすべく、独自の軍事裁判「ハバロフスク裁判」を完全公開にて行い(その他の軍事裁判はすべて非公開で行われた)、また裁判終了後には裁判の全記録を米側に送り付け、日本でのうのうと暮らしている元 731 幹部らの再度の訴追をも要求。
が、すでに 人体実験・生体解剖 の膨大なデータを手にしていたアメリカは、もはやどこ吹く風。
当時問題となっていたソ連の捕虜に対する非人道的扱い(〖シベリア抑留〗)を引き合いに出し…
『抑留者問題から目をそらせるための茶番劇でしょ』
として相手にしませんでした。
その他の西側諸国もアメリカに追従するかたちで同じく無視。
当然それらの国々ではこの裁判に関する報道などは一切されず、結果、世界中の多くの人々にとっては、『なに、それ??』な裁判となってしまいました。
「ハバロフスク裁判」が “幻の軍事裁判” と言われるゆえんです。
なお、この「ハバロフスク裁判」で判決を受けた被告のうち、最も重い者(幹部クラス数名)で 25 年の強制労働だったそうですが、1956 年の「日ソ共同宣言」に基づく恩赦によって、その時点で収監されていた者は全員釈放、約 10 年ちょっとで帰国が叶うことになりました。
約1名を除いては… ⇩
元 731 軍医少佐が恩赦後の帰国直前に自殺(享年 46 歳)


731 部隊軍医少佐《柄沢 十三夫》の関連記事いろいろ

日本医学界・薬学界の重鎮となった元【731 部隊】の幹部医師や協力者たち(一例)

教鞭をふるう、メスを握る、会社を立ち上げる、などなど、旧【731 部隊】で培われた知識や経験をフルに活かし、戦後日本の医学界や薬学界の重鎮として君臨した元幹部の医師らですが、やはり最も有名なのは〖薬害エイズ事件〗で日本中を騒がせた、旧〖ミドリ十字(株式会社日本ブラッドバンク)〗を設立した《内藤 良一》(元陸軍軍医学校「防疫研究室」のボス / 上写真)ではないでしょうか。


また、部隊長《石井 四郎》の恩師でもあった《戸田 正三》(京大教授 / 上写真)は、最も積極的に軍と関わり、教え子の医学者たちを次から次へと【731 部隊】やその関係機関に送り込んで莫大な研究費を得ていたとして有名。
そうした彼らも含め、主だった元 731 幹部面々の “華麗なるその後” をズラリ挙げれば以下のごとし。
ありえん…
【731 部隊】(支部・兄弟部隊も含む)の元幹部医師たちの “その後” ※ 動画「細菌戦部隊 731」より





【731 部隊】を日本国内で支えた協力者たちの “その後”



【731 部隊 詳細編 参考動画1】 戦後の部隊員らと裁判の経過がよくわかる★
〖現代史スクープドキュメント「細菌戦部隊」(前編・後編)/ プライム 10〗

【731 部隊 詳細編 参考動画2】 超分かりやすい明治大学教授の講演
〖日本の秘密戦と731部隊ーその記憶を発掘し継承する意義〗
731 部隊 有名書籍 / 森村 誠一 著【悪魔の飽食】3部作

❶【悪魔の飽食】

❷【続 悪魔の飽食】

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【731 部隊 その他オススメ書籍】

731部隊全史

※ 電子版無配信
(本記事執筆時点)
731部隊と100部隊

731部隊と戦後日本

731

【オススメ映画】「帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚」



U-NEXT より
〖帝銀事件〗とは、東京の豊島区で “防疫消毒班” の腕章を巻いた男が “謎の毒物” を巧みに使って大量殺人&銀行強盗をした、という終戦約3年後(1948 年)に起きた大事件(⇩に当時のニュース動画あり)で、元 731 部隊員たちを密かに探っていた警視庁の捜査が、ある日いきなり GHQ からの圧力で彼らを捜査対象から外さざるを得なくなった、という “いわくつき” の事件としても有名であり、この映画ではその件についてもきっちりと描かれています。
(決定的な証拠がないまま、なぜか犯人と断定され、死刑判決を受けた《平沢 貞通(ひらさわ さだみち)》なる男が、獄中死するまでの三十数年間刑が執行されなかったことでも有名)
ただ、当作品…
どうやら市販の Blu-ray・DVD・VHS 等々はすでに出回ってないようで、視聴したくば他の方法に頼らざるを得なさそうです。

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【帝銀事件 ニュース動画 / 中日映画社】
〖「銀行毒殺事件 ~帝銀事件~」〗


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