【はじめに】
墜落現場 Wikipedia より
進学、就職、結婚、離婚、マイホーム購入… etc
人間生きてりゃ誰でも重要な選択をすべき場面に少なからず遭遇するもの。
しかし、生死が決定づけられるほどの大きな選択に迫られることはそうはないはず。
“夫” や “妻” の選択に後悔しきりの方は大勢いらっしゃるかもしれませんが、そんなものはこれに比べりゃどうってことありません。
〖死ぬか死人を食べるか〗
今回は、その “究極の選択” を余儀なくされた有名な飛行機事故、「ウルグアイ空軍機 571 便遭難事故」 の全貌、および、生存者の証言をもとに当時の状況を忠実に再現したとされる映画【生きてこそ】 のご紹介です。
【ウルグアイ空軍機 571 便遭難事故】とは
事故機と同型機の【フェアチャイルド FH-227D】 Wikipedia より
1972 年 10 月 13 日 、ウルグアイ空軍のチャーター便がウルグアイからチリに向かう途中、悪天候とパイロットのミスから標高 4000 ㍍以上ともなるアンデスの山中(チリとアルゼンチンの国境付近) に墜落し、 乗員乗客計 45 名中 29 名が死亡 しました。
乗員 5 名以外に乗っていたのは、ウルグアイのラグビー選手団(キリスト教系大学生) とその家族や知人 らで、目的はチリの首都サンティアゴで開催される試合への参加。
下写真は昨今のサンティアゴの光景ですが、前方にそびえるアンデスの山々は当時と変わりはなく、本来ならばあの向こう側からこちら側にまで来なくてはならなかったってことです。
サンティアゴの街並み Wikipedia より
墜落後、機内で発見したラジオから捜索中止を知った生存者たち。
遺体を糧とし、雪崩に直撃されたりしながらも何とか生き永らえていた彼らの一部でしたが、発見される可能性のほぼない状況下で待ち受けるものは遅かれ早かれ「死」 以外にありません。
もはや助かる道はひとつしかなく、3 名の屈強な男が救助を要請すべく命がけの山越えを決行することになりました。
諸般の事情から内 1 名はすぐさま引き返しましたが、他の 2 名は天候や運などにも恵まれながら奇跡的に下山に成功し、なんと墜落から 2 カ月以上もが経過した 12 月 23 日、ようやく待ちに待った生存者全員の救助が叶う こととなったのです。
生存者が長期に渡って生き延びれたのは、言うまでもなく先に亡くなった犠牲者たちの肉体より栄養分を授かっていたからで、他に手段がなかった以上これは猟奇犯罪の類とはまったく違う、言わば “緊急避難” 以外の何ものでもありません。
が、当初こそ「奇跡の生還」 と称えていた報道各社も、その一件が明るみになるや否や一斉に “食事” へと焦点を移し、過剰逸脱した憶測などとも相まって世の中の興味は一気に “食人行為” へと向けられる ことになりました。
墜落までの流れ
日本との位置関係
出発地と目的地
目的地サンティアゴ周辺
飛行機はウルグアイを離陸後そのままチリまで飛び続ける予定でしたが、アンデス山脈の天候不良のため手前のアルゼンチンにて一度着陸し、そこで一泊してから再びチリを目指すこととなりました。
翌日、アルゼンチンを飛び立った飛行機ですが、飛行機の性能や天候の状況から一直線にアンデス山脈を飛び越えることは難しく、一度山脈に沿って南下した後、安全な地形に達してから山脈を越え、再びチリのサンティアゴに向け北上する、といった下方面からの迂回ルートをとる以外方法はありませんでした。
しかしながら、視界不良に加え、強い向かい風で飛行機が減速していたことからパイロット達の位置把握に誤認が生じ、その結果まだ早い段階で舵を切ってしまったため標高 4000 ㍍以上 もの高い山肌に突っ込んでしまうことになったのです。
イメージ
一度目の衝突で片方の翼 と機体後部 が失われ、その穴から乗員乗客 5 名が放り出され行方不明(のち死亡判明) に、二度目の衝突でもう片方の翼 ももぎ取られ、胴体だけとなった残りの機体はしばらく崖を滑り落ちたのち、雪に埋まりながらようやく停止しました。
放り出された 5 名以外に 9 名が即死し、またその他 3 名も当日中に命を失った とされています。(生存者 28 名)
墜落後のアレコレ
捜索難航で打ち切りに
イメージ
数十名もの乗員乗客を乗せた飛行機が行方不明になったのですから当然大きな捜索がなされました。
が、一面雪景色の広大なアンデスで、そこに溶け込んだ真っ白な機体を上空から発見するのは至難の業です。
生存者側からもコックピットの無線機で救援を呼ぼうと試みたものの、ウンともスンとも言わず断念。(当初生存していた航空整備士から『使用には機体後部のバッテリーが必要』 と聞いたため、その後機体後部の探索に執心することとなります)
ウルグアイ・チリ・アルゼンチン の 3 カ国により懸命な捜索が行われたものの機体発見には及ばず、開始から 8 日後には捜索が打ち切られることとなりました。 (のちウルグアイは捜索を再開。12 月に一度だけ空軍機がすぐ上を通過したものの “事故機” とは認識しなかった)
残る食糧は「遺体」のみ
生存者にまず課されたのは怪我人の救助と寒さへの対処でしたが、生き延びるため絶対に確保しなければならないのが水 と食糧 。
水は “雪” をうまく利用することで何とかなりましたが、問題は食糧です。
食料等の保管場所である機体後部は行方がわからず、周囲の荷物から発見できたのは僅かばかりのチョコレート & スナック菓子とあまり意味をなさないアルコール類のみ。
やがて食料も尽きた中である一人が決断しました。
『遺体を食べよう』
最初は頑なに拒否していた者も、やがては生き残るため一人また一人と口にするようになり、以降凍った友人たちの 遺体が 生存者たちの命を繋ぐ唯一の食料 となりました。
その時の食料事情を生存者の 一人《ナンド・バラード》 氏が 2006 年に出版した著書【アンデスの奇蹟】 の中で以下のように振り返っています。
高山では、身体に必要なエネルギーは膨大だった。 …新たな食料を発見するという望みはなく、我々は本気で飢えていた。 我々は新たな食料を探し求めて機内を捜索した。…何度も胴体の中を探し回り、モーゼルで山を登った。我々は、荷物の断片である革片を、それに使われている化学物質が身体に与える益よりも害が大きいことを知りながら食べようとした。我々は藁を見つけようとして多くの座席やクッションを切り裂いたが、藁は使われていないことがわかった。…我々は何度も同じ結論に達した。我々が着ていた衣服は食べられないし、 アルミニウム、プラスチック、氷、岩石以外に何もここにはなかった。
Wikipedia より抜粋
非情なる雪崩の直撃
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まだ若い一人の女性(選手の妹・享年 20 歳) が兄の腕の中で息を引き取ったその 8 日後(10 月 29 日) 、さらなる悲劇が彼らを打ちのめしました。
轟音と共に雪崩が直撃し、機内に流れ込んだ大量の雪が彼ら全員を埋め尽くした のです。
自力で這い出せた者が他のものを必死に助け出しますが、間に合わずに奪われた命は計 8 名。 (死亡者計 26 名・生存者計 19 名)
大きな悲しみと共に、気温の上昇するその後は雪崩の恐怖 とも闘わなければなりませんでした。
アンデスは南米=南半球なので季節は日本の正反対となります。 チリ(サンティアゴ) の最も寒い時期は 6 月(最高気温約 14℃) で、最も暑い時期は 1 月(最高気温約 30℃)だ とされています。
待望の “機体後部” を発見 ! だが…
11 月 18 日、かねてより探し求めていた “機体後部” が 3 名の探索隊によりようやく発見 されました。
衣服・タバコ・僅かばかりの食料、なども残されていましたが、何より必要な無線機用のバッテリーも使える状態でしっかりと保存されていました。
バッテリーがあまりにも重たいため、一度元の場所に戻って無線機本体の方を運ぶ以外に方法はありませんでしたが、その後バッテリーに接続したあと何をどうやっても反応しません。
長い格闘の末、最終的には諦めざるを得なかったわけですが、後々になって判明したのが、なんと “無線機の電力はプロペラのエンジンより得ていた” という事実。
バッテリーなど何らの関係もなく、航空整備士(雪崩で死亡) の “ガセネタ” にただ振り回されていただけでした。
が、もし “バッテリー発見” が生存者たちの “生きる希望” に繋がっていたのであれば、それはそれで結果オーライなのかもしれません。
命を託された遠征
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雪崩以降、ケガの悪化等でさらに 3 名が命を失い 、発見されず、無線も使えず、さらに備蓄していた “食料” も底を突きかけている、となると、もはや最後の手段、“直接助けを求めに行く” しかテはありません。
12 月 12 日、生存者全員の命を託された 3 名は機体の断熱材で作った寝袋を持ち、チリへ向かう谷を見つけるため一か八かの遠征に出発 しました。
“この山の向こうには希望がある” と信じ、必死で登りついた一発目の山頂でしたが、その目に飛び込んできたのはどこまでも連なる見渡す限りの山々。
もはや過酷な長旅になる事は確実で、その後の効率を考え 1 名は自身の食料を他の 2 名に分け与え墜落地点へとUターンすることになりました。
このUターンはただひたすら下るだけで、しかもソリを使ったため 1 時間程度でソッコー戻れたんだそうです。
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あとの 2 名はただひたすら歩き続け、コケ類など “植物” を目にしたのは遠征開始から 6 日目 のこと。
その翌日には雪も消え、周囲の光景も多くの植物が生い茂ったものへと変わり、さらにその翌日には牛の群れの他、空のスープ缶や伐採された木々など “ヒトの痕跡” なるものも発見。
そして 12 月 20 日、ようやく “ヒト” の姿をその目に捕らえることができ、遠征開始から 9 日目にしてやっとの思いで救助の要請を託す ことが叶いました。
生存者全員の救出完了はその 3 日後の 12 月 23 日。
最後まで生き残ったのは 18 歳から 36 歳までの男ばかり計 16 名 でした。
世界中を驚愕させた食人報道
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救出直後、最初の 2 名は “食人行為” についてだけは一切語らず、また他の生存者たちも『機内にあったチーズを食べて生き延びた』 と口裏を合わせて偽りました。
しかし、家族なども含め密かに話し合った結果、“その行為” もやはり公にすべきと決意。
が、その発表の前に、機内に残されていた “人肉” の写真が救助に同行した山岳ガイドらによって新聞社に持ち込まれたことから状況が大きく一変。
各社ともその後は “食人行為” ばかりに焦点を当てた狂気色いっぱいの報道に転じたため、世界中に大きな衝撃を与えることとなった のです。
以下は前述した【アンデスの奇蹟】 より一部抜粋したもの。
我々の救出後すぐに、カトリック教会の職員たちは、教義に照らしても我々が死者の肉を食べたことは罪に当たらないと発表した。 死んだ少年の両親の多くが、我々が生き残るために選択した行為を理解し、受け入れたことを世界に公表し支持を表明した。 これらのジェスチャーにも関わらず、 多くの報道が無思慮で強引な方法で我々の食事に焦点を合わせ、中には薄気味悪い写真を一面に飾り、恐ろしい見出 しで報道した新聞もあった。 Wikipedia より
映画でさらに詳しく !
U-NEXT より
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DVD
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映画【生きてこそ】 は動画配信サービスの「U-NEXT」 で現状(2022 年 12 月現在) 無料 にてご視聴いただけます。
【参考動画】
映画「生きてこそ」(予告)原題:Alive
約 2 分
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