【はじめに】
日本国民ならみなさん当然にご存知であろう、わが国の誇る子守歌…ではなく、厳かなる国歌【君が代】。
主だった国内行事の他、ワールドカップなど大きな国際イベントでも事あるごとに歌われ、日本を応援する我々の心も自ずとかき立てられます。
しかし聞くほどに風変わりでヘンテコな日本の国歌。
欧米などの長くカッコイイ国歌とはちがって、極端に遅く、短く、意味の分からぬ奇妙な歌詞。
いったい誰がいつ作ったのか、はたまた歌詞の意味は何なのか…
てなわけで、今回は謎多きわが国の国歌、【君が代】のアレコレをちょいとばかし探ってみました。
日本国歌【君が代】のアレコレ
が、探ってはみたものの、やはりと言うか、【君が代】をひも解くのは、起源、歴史、その他多くのことが諸説うず巻き、どうやら一筋縄ではいかぬ様子。
ボツネタにしようかとも思いましたが、日本国民の誇りにかけ頑張るだけ頑張ってみました。
起源は一応 10 世紀(平安時代)の【古今和歌集】にあるとするのが通説とされているようですが、さらに古くの福岡県志賀島に伝わる神事「山誉め祭」で歌われてきた神楽歌(かぐらうた)にその起源を見る有力説もあり、また、その後現在の形ができあがるまでも “伝承” だの “推測” だの曖昧な表現が目白押しでとにかくワケわかりません。
なので、理解に手間取りそうなものは極力無視し、確実 or 通説っぽいものだけを大まかに記すのみと致しますので悪しからずご了承下さい。(早い話が手抜き)
【君が代】が法律で「国歌」と定められるまでの流れ
【君が代】の基本の基本
『君が世は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで』
〖ABC 交響楽団【君が代】合唱〗
(国立国会図書館デジタルコレクション より)
楽譜で 11 小節、平仮名でもたったの 32 文字しかないわが国の国歌【君が代】。
スペインなど国によっては “歌詞” を持たない曲だけの国歌もありますが、その他の国々の中ではウガンダ国歌とともに世界最短とされています。
ウガンダ国歌には 2 番と 3 番があり、これらも歌えば日本国歌の方が短く、1 番だけならウガンダ国歌の方が短くなるそうです。
ちなみに、“幻” とまで言えるのかどうかは分かりませんが、【君が代】にも滅多に歌われることはないであろう 2 番以降が存在します。
気になる方は以下動画にてどうぞ。
当然ながら、2 番以降のことなど当記事では関与いたしませんので悪しからず。
【参考動画】
〖【君が代】歌詞があまり知られていない君が代の2番~4番 〗
明治以前の【君が代】
【君が代】が庶民の間で急速に広まったのは鎌倉時代以降。
時代によっては「宴会のお開きの歌」「舟歌」「盆踊り唄」など様々な場面で用いられていたそうで、なんと乞食が物乞いをする際にも唱えられていたとか。
“旋律” が作られ、現在の日本国歌の原形といえるものが完成したのは時代がずっと進んだ明治時代に入ってからだそうです。
【君が代】の現代版が誕生
1869 年(明治 2 年)、イギリスより女王の次男が来日する旨の通知を受けた日本在住のイギリス人《ジョン・ウィリアム・フェントン》(イギリス公使館付きの軍楽隊長)は、日本に「国歌」がないのを遺憾に思い、日本政府に “儀礼音楽を設けるべき” ことを進言し、併せて “自らが作曲すること” をも申し出ました。
しかしながら、作曲は《フェントン》がするとしても、その前に “歌詞” が必要です。
検討を重ねたあげく候補とされたのが、武士の倫理を説いたものとして広く薩摩藩士たちに歌われてきた「蓬莱山(ほうらいさん)」なる歌の一節。
【古今和歌集】由来のこの一節は、【江戸城大奥】での元旦の儀式【おさざれ石】にも用いられていたこともあって《フェントン》にも異論はなく、すぐさま “楽曲” としての “現代版【君が代】” が完成されるに至りました。
【おさざれ石】とは、御台所(みだいどころ=将軍の正妻=大奥のトップ)が将軍に新年の誘惑…でなく挨拶をするに際し、早朝よりメイクだのなんだのと身辺を整えた儀式のことで、超ザックリ言えば…
〘お付きの女中が湯をそそぐ容器を持ち、「わが君は~千代に~八千代に~さざれ石の~」と上の句を唱えると、御台所が手で湯を受けるまねをし、「いわおと~なりて~苔の~むすまで~」と下の句を唱えて儀式は終了〙
…といったものです。
たとえ正妻といえども年の初めにこの儀式を終えねば将軍の面前に出ることは許されませんでした。(下画像参照)
【君が代】が晴れて正式なる「日本国歌」に
明治 2 年、ようやく形となった日本初の儀礼音楽でしたが、当時の日本にはいまだ西洋楽器や演奏技術などはなく、記念すべき【君が代】の初演奏は悲しいかなイギリス人のみの軍楽隊によってなされたものでした。
そのすぐ後、鹿児島の青少年による軍楽隊「薩摩バンド」が結成され、【君が代】が日本人だけで初めて演奏されたのは明治 3 年になってからのこと。
しかしながら《フェントン》作曲の【君が代】は「威厳に欠いている」との批判も多く、普及するまでには至らなかったそうです。
その後、ドイツ人軍楽教師《フランツ・エッケルト》を中心として改訂だの編曲だのを繰り返し、【君が代】が “国歌” として不動のポジションを得たのは 1897 年(明治 30 年)の終り頃。
決め手は陸軍省による “君が代ハ陛下及皇族ニ対シ奉ル時に用ユ” とした通達でした。
やがて根拠法(国旗国歌法)が制定され、【君が代】が名実ともに「国歌」としての地位を得たのは、さらに約 100 年が経過した、なんと 1999 年(平成 11 年)になってからのことでした。
【君が代】の歌詞の意味は?
子供時分よりいたる所で耳にし、歌わされてきた【君が代】ですが、いざじっくり歌詞を眺めてみても何を言っているのかさっぱりわかりません。
それもそのはず、歌詞の起源は平安時代に編纂された【古今和歌集】にあるとされ、その一節がほぼそのまま歌詞として使われているからです。(画像参照)
当初は祝い事に用いられた歌らしく、“君” は「祝われる者」全般をさしていたそうですが、やがて時代の流れと共に「天皇」のみを意味する言葉へと変化していったそうな。
また、記録上は “作者不明” とされているが実際はそうではないといった説も複数あって、その中のひとつが朝廷に仕えていた某木地師(きじし=ろくろを用いて木製品を作る職人)が作者だとするもの。
この説では、彼の地位が低かったために “作者不明” の扱いを受けたとされています。
その他では、冒頭の “君” を天皇の敵である「安曇の君」なる人物だとした説もあり、“天皇の命令” で編纂している和歌集に “天皇の敵を登場させた作者” の名を載せるのは妥当でないとして、編纂者=《紀貫之》があえて “作者不明” にした、といったもの。
で、全文の意味はというと、やはり細かな部分はよく分かりません。
長らく「天皇」とされていた “君” は、戦後の今では『日本』や『日本国民』といった意味になるのではないでしょうか。
次の “千代に八千代に” は最もグレーな部分で、区切る場所からして “千代に / 八千代に” 以外にも “千代にや / 千代に” 説などがあったりで、もはや深入りしたくはありません。
残りの全文 “さざれ石~苔のむすまで” は「小さな石(さざれ石)が成長して大きな岩(巌)となってコケが生えるまで」という意味らしく、転じて『限りない悠久の年月』をイメージさせた表現なんだとか。
結局のところ、全文あわせて『日の丸よ、永遠なれ !』みたいな単純な解釈でよろしいのではないでしょうか。
ま、勝手な個人的見解ではございますが…
最後に
言いたいことをはっきり言わず、相手の顔色を窺いながら遠回しに意思表示をするのが一般的な日本人。
言い換えれば、常に一歩下がり、空気を読み、相手の心情を思いやる、てな感じ ??
ま~良しも悪しくもこれこそが外国人から見た日本人の姿でもあり、短いセリフを時間をかけて抽象的に物申す【君が代】は、そんな国民性を象徴するに相応しいまさに我々にピッタリの国歌だと言えるのではないでしょうか。
けどやっぱ…
個人的には欧米国歌の方が好きかな…
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